第1回 河北大学・小林多喜二研究奨励論文募集応募論文

<第二席>

小林多喜二と夏衍
――『蟹工船』を中心に

大学院3年 李国宁(李国寧,りこくねい,男性)

一、夏衍と小林多喜二文学 
夏衍(1900.10.30-1995.2.6)は作家、劇作家、映画理論家として中国文学史や映画史上で重要な一ページを占めている人である。青年時代日本に留学し、明治専門学校(現在の九州工業大学)などで学び、工学を修めた後、文学界に身を投じた。帰国後はシナリオ作家として文化界で活躍。演劇家としての令名高く、「中国のチエーホフ」と呼ばれる所以である。革命後、全人代上海市代表、全人代山東省代表等を始めに、対外文化協会副会長、中国文学芸術界連合会全国委副主席、中日友好協会会長等を歴任して、政治、文化の両面にわたって活躍し、日本プロレタリア文学を中国に紹介する作家の中で大きな貢献をした重要な一人である。[注1]

1、夏衍と『蟹工船』
『蟹工船』が出版されて間もなくの1930年1月に、夏衍は早速「若沁」の筆名で左翼聯盟機関紙『拓荒者』の創刊号に「『蟹工船』について」という評論を書いた。その評論は、中国で初めての小林多喜二を紹介する文章の一つだと言われている。そしてそれは、中国で『蟹工船』を紹介する初めての文章でもある。
その文章の中で、「もし誰かが『最近日本プロレタリア文学の傑作は何か』と問うならば、私どもは躊躇せずに答えられる。それは『一九二八年三月十五日』の作者小林多喜二の『蟹工船』である」とある。文章の最後で再び「我々は大胆に推薦する。『蟹工船』はプロレタリア文学の傑作である」と強調し、紹介文でありながら、『蟹工船』を高く評価するものであったことが分かる。[注2]

2、夏衍と『一九二八年三月十五日』
夏衍は1930年2月に発行した『拓荒者』(《小林多喜二的“一九二八年三月十五日”》,沈端先,《拓荒者》第1卷第2期)で、小林多喜二の初期代表作である「一九二八年三月十五日」の創作の時代と背景、テーマ、表現方法及び反動的な社会に触れて出版禁止処分とされた理由を紹介し、「この作は、凶暴で反動的な支配者がいかにこの作品を恐れたかをさらに証明した」、「進んだ司法がいかに反動的役割を果たしたか、牢屋生活がいかに悲惨か、自由が奪われた人々がいかにこの「修養所」で鉄鋼のような意志を鍛えたか」を描いた。また、作者は蔵原惟人の「いろいろの欠陥はあるにしても、日本プロレタリア文学の発達した歴史から見れば、画期的な作品と言っても過言ではない。第一、この作品は大きなスケールで我が国の革命的労働者の生活を描いた。第二に、死んだ型を描かずに生きた人間を描いた。」という評論を借りてこの作品を評した。[注3]

二、『蟹工船』と『包身工』の共通点
『蟹工船』は小林多喜二不朽の名作、プロレタリア文学の代表作としても知られている小説である。夏衍の『包身工』は、中国報告文学の最優秀作だといわれている。『蟹工船』と『包身工』を比較した上で、日本プロレタリア文学が中国左翼聯盟に与えた影響を認識し、この二人はどのようなかかわりを持っていたのかを検討したい。

1、『包身工』
『包身工』は1936年労働者の悲惨な生活を描いたルポタージュで、当時強烈な反響を呼んでいた。上海にある日本紗廠で働いている労働者たちの朝から夜までの一日の生活を描いた文学で、中国報告文学の最優秀作だと言われている。

2、現地調査
この二つの作品を書く前に、二人の作者は綿密な調査を行っている。
「手塚英孝の手による詳細な評伝『小林多喜二』(筑摩書房、1958年)によれば、彼は当時勤務していた拓殖銀行の資料用の新聞から、関係記事のスクラップを作ったり、週末には函館を訪ねて蟹工船の実地調査をしたりしている。また蟹工船の漁夫とも直接会って、詳しい実態の聞き取りも行った。」(島村輝「『蟹工船』を解体するキーワード」『30分で読める・・・大学生のためのマンガ蟹工船』解説、2006年 東銀座出版社)。
夏衍は作品に取り込む前の1936年の春、2ヶ月をかけて実地調査を行った。毎日、朝4時に起きて日本紗廠の前で労働者を観察し、会話を通して資料を集めていたという。その工場で職員をしている友達を通して工場現場を何回も見学し、直接の資料ももらうことができた。このように実地調査を行ったからこそ、小林多喜二と夏衍の二人は中日両国の傑作を作ることができたのだ。

3、冒頭文から見た同工異曲
『蟹工船』の冒頭文「おい地獄さ行ぐんだで!」によって開示される「蟹工船」の世界は、多喜二「映像によるモンタージュ構成」を表現の力として取り入れることによって成立し、「地獄」という言葉は重層的な現実を暗示している。[注4]
『包身工』の冒頭文は「旧暦4月中旬、早朝4時15分、まだ夜明けになっていないころ、混み合っている工房でまだ寝ている人々はもう大声で起こされている。季節外れの服を着ている男が大声で『ベッドを取り外すぞ! 早く起きろ!』と叫んだ。『芦柴棒、火をおこしに行け! くそ! まだ寝てやがる、猪玀!』」。「猪玀」という言葉は文章全体の「文眼」だといわれている。「地獄」と同じように重層の意味を持っている。猪(漢語では日本語の豚を意味する)のような生活、猪のような労働、猪のような虐待といったように「猪玀」という言葉で、この工場の労働者たちの一日が始まった。それからも『蟹工船』と同じように、モンタージュの手法をとって悲惨な労働状況を描いた。
『包身工』は『蟹工船』の6年後に発表した報告文学で、『蟹工船』を中国に紹介し高く評価した夏衍氏は、『包身工』を創作にあたって小林多喜二の影響を強く受けていることを窺うことができるだろう。
作品を読むと、このほかにも労働環境の描写、資本家の搾取、労働者の悲惨生活などの表現で共通しているところがたくさんあることが分かると思う。本文はこの二つの作品の差異を指摘するところから出発したいと思っている。

三、『蟹工船』にある『包身工』にない描写
  『蟹工船』と『包身工』を比較することは、どちらが優れているかを研究しようとするのではなくて、前者にあるもので後者にない描写を通して、小林多喜二がいかに日本プロレタリア文学の最高傑作を書いたかを探ってみたい。

1、普通に見える日常生活の描写
蟹工船を読んで最初に気になったのは、博光丸に乗った前後の日常生活における描写だ。
「漁夫は指元まで吸いつくした煙草を唾と一緒に捨てた。」
タバコを吸っている描写はあまりにも普通で、しかしその後に「巻煙草はおどけたように、色々にひっくりかえって、高い船腹をすれずれに落ちて行った。」とあって、その後の運命に伏線を敷いたと推測できるだろう。そして、ごく普通にタバコを吸っている姿は、海の上でのいつの間にか死んでしまうような悲惨な生活とコントラストになるともいえる。
「薄暗い隅の方で、袢天を着、股引をはいた、風呂敷を三角にかぶった女出面らしい母親が、林檎の皮をむいて、棚に腹ん這いになっている子供に食わしてやっていた。子供の食うのを見ながら、自分では剥いたぐるぐるの輪になった皮を食っている。何かしゃべったり、子供のそばの小さい風呂敷包みを何度も解いたり、直してやっていた。そういうのが七、八人もいた。誰も送って来てくれる者のいない内地から来た子供達は、時々そっちの方をぬすみ見るように、見ていた。」
この場面は更にあれっと思わせる描写だと思う。子供を幼稚園に送ったり、寮生活に行く子供を心配しながら駅やどこかまで見送りに来たという感じと似ているのではないかと思う。これこそ、これからの運命がどうなるかを、読者に早く読みたいと思わせる効果的な導入であることをしみじみと感じる。
「赤い臼のような頭をした漁夫が、一升瓶そのままで、酒を端のかけた茶碗に注いで、鯣をムシャムシャやりながら飲んでいた。その横に仰向けにひっくり返って、林檎を食いながら、表紙のボロボロした講談雑誌を見ているのがいた。」
「お酒」、「するめ」、「林檎」、「雑誌」などの描写は、生活の細かいところまで工船に乗る前のことを書いてくれた。「ムシャムシャ」という表現を使って、その後の塩引きだけも最高だという食事の悪い状況の描写とは対照的になっていて、作者の工夫に感銘した。
工船に乗る前はこんな描写が当たり前だという人もいるかもしれないが、出航してから、仕事をはじめる部分に入っても、似たような描写もある。
仕事が終わって食事の時間だ。「汁なし」と言われたが、やはり「塩引の皿を安坐をかいた股の間に置いて、湯気をふきながら、バラバラした熱い飯を頬ばると、舌の上でせわしく、あちこちへやった。「初めて」熱いものを鼻先にもってきたために、水洟がしきりなしに下がって、ひょいと飯の中に落ちそうになった。」
「バラバラした熱いご飯」、「せわしく、あちこちへやった」初めての熱いものだから、「水洟がしきりなしに下がって、ひょいと飯の中に落ちそうになった」と。この描写は映像を見ているように感じられる。実は工船に乗る前の普通と変わらない描写から「汁なし」へ、また次へというように、綿密なプランを立ててこの小説を書いていることが分かる。
体が病気になったり、淺川監督にますます酷使されたり、こっそりと戦おうとする空気の中で、中積船が来た。荷物を解いて、いろいろなものが出てきた。
「側から母親がものを云って書かせた、自分の子供のたどたどしい手紙や、手拭、歯磨、楊子、チリ紙、着物、それ等の合せ目から、思いがけなく妻の手紙が、重さでキチンと平べったくなって、出てきた。彼等はその何処からでも、陸にある「自家」の匂いをかぎ取ろうとした。乳臭い子供の匂いや、妻のムッとくる膚の臭いを探がした。」
最初に読んだとき、郵便物も工船に来るのだと思った。確かに、このような描写があってこそ、労働者の生活が立体的になって、ありのままに感じられる。

2、「笑」の描写
『蟹工船』は資本主義の無残搾取や労働者を人間扱いしていないことを強く批判し、無産階級の革命運動を支持する小説だが、「笑」の描写は意外なことには39箇所もあることを発見し、正直驚いた。その「笑」の描写を通してその裏に隠れている苦味、辛酸を暗示しているように思われる。

一人は黙って、その漁夫の顔をみた。
「ヒヒヒヒ……」と笑って、「花札よ」と云った。

花札はいわゆる花合わせに用いるカルタのことだが、工船に乗る前に、地獄へ行くんだという覚悟もできた労働者たちでさえカルタまで用意してあったというのは、労働者たちはまだまだ資本家の本質が分かっていなくて、あまりにも愚かで可憐なことを言っているのではないかと思う。

「漁夫がベラベラ笑った。」
「相手はへへへへへと笑った。」 
「皆は四方の棚の上下の寝床から身体を乗り出して、ひやかしたり、笑談を云った。」
「菓子で口をモグモグさせていた男が、皆の視線が自分に集ったことにテレて、ゲラゲラ笑った。」
「そう云って、女におどけた恰好をした。皆が笑った。」
「急にワッと笑い声が起った。」
「男が頸を縮めて笑い出した。」

 労働者の間で冗談を言ったり、女のお尻を触ったり、他人の不運を笑ったりしている様子をリアルに描写し、労働者たちの生活場面を目の前に表わした。
  労働者の笑いのほかに資本家や浅川たちの醜悪顔も、笑いの描写で生き生きと現れている。

「艦長をのせてしまって、一人がタラップのおどり場からロープを外しながら、ちらっと艦長の方を見て、低い声で云った。
「やっちまうか……」
  二人は一寸息をのんだ、が……声を合せて笑い出した。」

「浅川は川崎船の胴体を指先きで、トントンたたいていた。
「これアどうしてバンとしたもんだ」ニャッと笑った。「引いて行くんだ」

「ボロ船だ、それア!」――浅川が雨合羽を着たまま、隅の方の椅子に大きく股を開いて
「これでよし。これでよし。うッはア、様見やがれ!」監督は、口を三角形にゆがめると、背のびでもするように哄笑した。

「ロシア人が笑いながら、その辺を歩き出した。」

笑うことは自由や快いことだが、小説に出てきた笑いの描写はほとんど消極的な内容だった。労働者の無知と愚昧、資本家の醜悪と陰険など対照的でインパクトの強い描写だと思う。

3、エロ話
  性に対する描写は、すでに河北大学の太陽舜先生の『小林多喜二の話し言葉の特色と表現』(「いま中国によみがえる小林多喜二の文学」東銀座出版社 2006年2月20日)により書かれているが、その性的描写も労働者の切実な関心事と言ってもいいと思う。ほんの何箇所しかないが、人間本能的な行動もできない労働者たちの奴隷なる生活の一面を反映している。こういう基本的な要求も満足できない状況の中では、人権や自由も泡のようになるに違いない。
島村輝先生は『マンガ蟹工船』の解説で「『蟹工船』と言う小説の真のインパクトが、言葉を持って作り上げられた仕掛けによることを語ってきた」と指摘してくださっている。「『臭い』『きたない』とおとしめられた労働者の反抗は、かえってかけがえのない人間らしさ『人権』を取り戻すための尊い聖性を帯びたものとして、描き出されることになる」との指摘は、まさにそのとおりだと思う。[注5]
以上見てきたとおり、小林多喜二は、労働者の普通に見える生活描写、笑いの描写、エロ話の描写を通して、資本家の下に奴隷のように働かされている労働者たちの姿をリアルに表現し、その「現実に労働している大衆を心底から揺り動かすだけの力」を強いインパクトのある言葉に工夫を凝らしていることが分るだろう。

三、終わりに
プロレタリア文学はただ政治の道具に過ぎないという声もあるが、小林多喜二の文学を読んでいない人はこういう批判をする資格を持っていないと思う。「蟹工船」は「調査に裏付けられた題材ばかりでなく」、いろいろな言葉の仕掛けを通して読者の心を引き付けている日本プロレタリア文学の最高傑作であり、今の時代に求められる芸術的成果であることを確認できるのだ。

〔注〕
[1] 中国現代文学館編『中国現代文学百家―夏衍』 1997年 会林、紹武編  『夏衍戏剧研究资料』(下) 1980年
[2] 劉春英「三十年代中国左翼作家の小林多喜二認識」(『日本学論壇』、2004年。)
[3] 佐藤三郎 「長編小説「一九二八年三月十五日」を公開」、「「一九二八年三月十五日」研究論文リスト」(白樺文学館多喜二ライブラリーホームページ)
[4] 十重田裕一 「交差する『蟹工船』と『上海』をめぐる序説」(『国文学解釈と鑑賞』 「文学」としての小林多喜二 2006年)
[5] 島村輝 『マンガ蟹工船』解説(企画·白樺文学館多喜二ライブラリー 東銀座出版 2006年)

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[2007/3/9]

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時代を撃て・多喜二