第1回 河北大学・小林多喜二研究奨励論文募集応募論文

<第二席>

小林多喜二文学と今の中国の「農民工」問題
――『蟹工船』を中心に

大学院3年 陈 君(陳君,ちんくん,Chen Jun,男性)

はじめに

小林多喜二文学は1930年代のプロレタリア文学であり、「農民工」問題は今の中国の一つの社会問題である。両者の間につながりがないのではないかという論があるかもしれない。確かに両者の間には直接的なつながりはない。しかし、小林多喜二文学は貧しい労働者を救うための文学という視点から考えてみると、両者はやはり繋がっていると思う。小林多喜二文学の中で一番の代表的な作品は『蟹工船』だと一般に認められているから、わたしは『蟹工船』を中心に、どうして小林多喜二の手によって書かれたかを通して、小林多喜二文学と今の中国の「農民工」問題とのつながりを論じていきたい。あわせて、小林多喜二文学の必要性も探ってみたい。

一 『蟹工船』は貧しい労働者を救うための文学である。

『蟹工船』は、『戦旗』1929年5月号と6月号に掲載された。書かれた時期は1928年10月28日から1929年3月30日までと推定されている。
当時の日本の労働者は地獄に生きるのと同じような生活をしていた。彼らは苦しい労働条件のもとで、資本家に膨大な金を儲けさせながら、自分自身はついに飯を食えないほどの貧しさを経験しなければならない。彼らが生きるために「わが身を売り、わが身を食う」。蟹工船の労働者たちは生きるために「蛸」(蛸は自分が生きて行くためには自分をも食ってしまう)のように生き、わずかの煙草で仲間を売ってしまうようなこともした。こればかりではなく、生産目標が達成できなかったら、資本家が勝手に労働時間を延ばして労働者たちの人間的なものを一切破壊してしまう。彼らの命は、まったく資本家たちの巨大な金儲けのための道具なのだ。人間的な考えでは、巨大な金を儲けた資本家たちは、労働者たちのことを大切にしてやるべきなのだが、意外なことに労働者たちの命は資本家にとって、「バット二つ、手ぬぐい一本」の値段と同じような安さだ。もう一つ、秩父丸がS.O.Sを打った、それを受信しながら、金のために、他の蟹工船は簡単に労働者たちの命を見殺してしまった。
物質の面だけではなく、精神面でも労働者たちは虐待されている。人間として扱われていないで、人間的な感情を奪い去られていて、動物的本能の欲望に奔弄されている。
労働者たちは「煙草はおどけたようにいろいろにひっくりかえって高いサイドをすれずれに落ちていった。」というよう多喜二が象徴的に描いたように、絶望的に地獄に落ち込んでいってしまった。
小林多喜二が『蟹工船』を書いた背後に、次のようないくつかの生々しい事件がある。
「1926年に北千島で暴風のために座礁した蟹工船秩父丸の事件があった。この事件は254名の乗組員のうち160人以上の犠牲者を出した大事件だったが、この秩父丸の沈没事故に対して近くを航海していたほかの蟹工船は、救助受信をしていながら、その蟹工船の救助に向かわなかった」。
こういうような虐待の実態を告発することは、小林多喜二の心の中の貧しい労働者を助けてあげる気持ちにぴったり合った。小林多喜二自身は貧しい労働者の息子である。「自筆年譜」に、「父は自作兼小作農で、母は日雇いの娘だった。農閑期には二人で近所に建っている土工場のトロッコ押しに出かけたりしたそうだ。切り立って崖鼻の鋭いカーブを、ブレーキを締めながら疾走した時のことを母は時々僕に話す。」
「転形期の人々」では、「雨が降って寒い朝など、父は田で稼いでいたころの冷えが出て腰が病むんだ。昼近くなると四方ガラスの二三段棚のついた二つの箱に、大福やパンを並らべてそれを担いで、土工夫の働いているところへ売りに行った」。そして姉が火山灰工場に働きに行き、真っ白になって帰ってきて長い間かかって髪を洗っていたことと、石炭かすの捨て場へコークスを拾いに行ったりしている妹のことなど家族のことを書いている。小林多喜二はこんなに貧しい家族のことを眼にして、何かをしなければいられないのである。「年譜」で多喜二は、「早く卒業して月給とりになり、貧乏な親たちを助けたいと思っていた。学校へ通う長い道を、鉱山を発見して、母を人力車に乗せてやることばかり考えていた。」と書いている。多喜二は貧しい人の子でありながら、自分も貧しい人だ。貧しい労働者たちのことは多喜二にとって決して他人の事ではなくて、自分の事なのである。わたしは、小林多喜二は自分の家族と自分の家族のような貧しい人々を救うためにこういうような小説を書いたのではなかろうかと思う。多喜二にとって、貧しい労働者を救わなければならないではなくて、救わずにはいられないのであって、その思いが『蟹工船』を書かせたのである。
まさに「蟹工船」は、「時代を撃つ言葉、世界を織る言葉」である。小林多喜二の手によって資本主義の残酷と労働者たちの苦痛は、絵のように私たちの目の前に現れたのである。

二 小林多喜二文学は現代中国にとってまだ必要か

グローバル時代を迎え、小林多喜二の研究者は世界的にはわずかであるが、小林多喜二文学を世界各国で読み直そうとしている。多喜二の作品が聴かれたり、見られたり、読まれたりして作者の生涯を越えて生きている。日本をはじめ、中国、アメリカ、韓国、ロシアでそれぞれ『小林多喜二シンポジウム』をやり、あるいはやろうとしている。それは今の世界の状況と小林多喜二の描いている世界との間には、似ていて語られるスペースがあるからだ。
ほかの国は別として、中国人であるわたしは『蟹工船』を手がかりに小林多喜二文学を現代中国にどう位置づけるかを考えてみたい。
小林多喜二文学は中国との間で深い縁を持っている。張如意先生の書かれた「中国における小林多喜二文学の再認識」(『いま中国によみがえる小林多喜二の文学』2006年 東銀座出版社)という論文を読んで、中国と小林多喜二文学との間でどれほどの深い縁を持っているかが分った。
「多喜二文学に限って言えば中国は特別な国である。というのは、中国はプロレタリア革命で勝利して、社会主義制度を確立した国で、そして、今になっても、社会主義の名を守り続ける数少ない国の一つであるからだ」。

とはいえ、中国に紹介してから今日までもう70年間あまりの歴史をたどっている小林多喜二文学も21世紀の今の中国では、棚上げされてあまり読まれていないようである。この点については、張如意先生の主催で行われた『中国の大学生から見た小林多喜二―アンケート調査から―』で分ってびっくりしたのである。「多喜二の名前」「蟹工船」「文学者」「プロレタリア作家」「虐殺」「戦争への態度」「魯迅との関係」といった質問への正解率はどれでも5割、6割、或いは7割以上を占めている。多喜二は依然として人々―特に若者に知られているが、作品の閲読率は「14.7%」ということに示されているように多喜二の作品を読んだ人はもうそれほど多くないということも裏付けていると言える。伊豆利彦先生が「生誕100年記念小林多喜二国際シンポジウムで考えたこと」(『戦争と文学』 2005年 本の泉社)という著作の中に、「私とほぼ同年の中国の研究者呂元明さんは多喜二が読まれないのはそれだけ中国は幸福になったということだと言ったが、それは複雑なニュアンスを含んだ言葉だったと思う。」という文を書いている。
今の中国はそんなに幸せになっていない。わたしはこの「複雑なニュアンス」を、今の中国では貧しい人がたくさんいるというふうに理解している。
確かにそうだと思う。私は中国の特有の「農民工」現象を例として自分の考えを述べようと思う。
「農民工問題」についてはすこし知られてきているが ―― 改革開放以来、農民が町へ働きに行く現象が現れ始めた。人々は出稼ぎで主に第二次、第三次産業で働いて給料をもらうという農民のことを農民工という。
農民工は二つの意味が含まれている。まず、農民工は一種の身分の象徴である。つまり、戸籍制度の下で、国家所有の土地を借用している農民。次は農民工は一種の職業である。つまり、農民工は町で働いて事実上の労働者である。2004年の全国総工会と国家統計局との協力で行われた第五回全国労働者状況調査によると、2003年までに中国の職に就いている人数はもう74,423万人に達し、第二次、第三次産業では37,886万人を収めていて、この中で、国家経営と集団経営の労働者はそれぞれ6,621万人と950万人であるそうだ。つまり、今の中国の農民工の数はもう2億人を超えている。中国はこんなに大きな農民工の数を持っているが、この労働者たちの労働条件はどうなのかということが問題なのだ。
以下は、信頼すべき情報源の新聞から、わたしが切り取った農民工についての一部の記事だ。

①2004年底,青海省疾病预防中心免费为青海省外出采金的农民工进行了一次职业病体检,在接受体检的108人中,确诊为矽肺病的有25人,检出率高达23.15%(2005年8月12日 新华网)

(日本語訳)2004年の末、青海省病気コントロールセンターは無料で外で鉱山で働いている農民工の職業病診断を行った。診断を受けた108人の中で、25人が硅肺病と診断され、検出率は23.15%にも登ったという。(2005年8月12日 新華ネット)

②据全国总工会不完全统计,截至到2004年11月中旬,全国进城务工的农民工被拖欠的工资高达1000亿元。

(日本語訳)中華全国総工会の不完全な統計によると、2004年11月中旬までに、全国中出稼ぎの農民工の不支給の総額はもう1000億元にも達しているという。

在对农民工的调查中,48.1%的人有过出门打工却拿不到工资的经历.其中30.6%的人有100—1000元的工资没拿到.15.7%的人有1000—5000元的工资没拿到.1.6%的人有5000元以上的工资没拿到。(2005年6月9日中国青年报)

(日本語訳)農民工の調査によると、48.1%の農民工は出稼ぎしていながら、給料をもらえず、30.6%の農民工は100—1000元未満の給料をもらい、15.7%の農民工は1000—5000元未満の給料、1.6%の農民工は5000 元未満の給料をもらっているという。
(2005年6月9日中国青年報)

③在对农民工的消遣方式的调查中发现,民工消遣方式单一。男性民工:无所事事67%,找老乡聊天的40%,打麻将的19%,打电话的19%,5%的男性民工坦诚自己找过小姐。

(日本語訳)農民工の娯楽方式の調査によると、農民工の娯楽方式は単調だという。男性農民工:何もしない67%、同郷の友人と話す40%、麻雀をやる19%、電話をかける19%、売春婦探し5%。

女性民工主要的消遣方式有:给家里打电话52%,逛街35%,找老乡聊天28%,看书读报27%,吃完就睡20%。

(日本語訳)女性農民工:家に電話をかける52%、ショッピング35%、同郷の友人と話す28%、本と雑誌を読む27%、食べ次第寝る20%。

80%以上的民工表示希望有培训学习的机会,但超过半数的民工没有参加过任何形式的培训、学习活动。(重庆晨报2005年4月4日)

(日本語訳)80%以上の農民工はトレーニングのチャンスがほしいと言っているが、半数以上の農民工はトレーニング学習活動に参加したことがない。
(重慶晨報2005年4月4日)

④2004年6月30日内蒙古一建筑工地41名民工集体中毒。
(新华社2004年6月30日)

(日本語訳)2004年6月30日内モンゴル自治区の一つの建築工事現場で41名の農民工は食中毒になった。(新華社2004年6月30日)

⑤东莞一公园挂着“禁止外来工入园,违者将罚款一百元”的牌子。
(信息时报2004年7月5日)

(日本語訳)広東省の東莞市のある公園で「外来の農民工は中に入るべからず、違反する人に罰金する」の標識が掲げられている。(信息時報2004年7月5日)

⑥广东外来工的工资调查显示:月工资收入在800元以下(国家纳税标准)的占48.2%,月工资收入在1200元以下的占近八成(78.7%),月工资收入在1600元以下的高达89.4%。(南方都市报2004年7月6日)

(日本語訳)広東外来農民工の給料調査によると、月給が800元以下(国家の税金納めの基準)のは48.2%を占め、月給が1200元以下のは八割近く(78.7%)を占め、月給が1600元以下のは89.4%を占めているという。(南方都市報2004年7月6日)

こういうような資料は少なくとも一つの問題を明らかにすることができると思う。つまり、今の我が国の特徴的現象としての農民工問題は、労働安全保護であり、給料状況であり、精神文化生活であり、生活資金であり、差別待遇であり、いろいろな方面にまだまだいっぱいの問題を残している。
中国に貧しい労働者がたくさんいるのに、どうして小林多喜二があまり読まれなくなったのだろうか。もっとも重要なことをわたしは経済のほうから探りたいと思う。
中国社会は1980年代半ばから、脱イデオロギーの方向へ徐々に変化していっている。つまり中国の社会転換問題である。中国はもともと階級闘争を社会の一番の矛盾として扱っていたが、1980年代半ばから遅れている生産能力と人間は増加による物質、文化需要との矛盾を社会の一番の矛盾へと転向していったのである。その解決の手段として改革開放政策を実施し、社会主義でありながら、市場経済を取り入れて豊かさを求めている。このお陰で、中国はだんだん豊かになってきて人々は目にみえて本当にいい生活を送るようになった。
しかし、一方では中国では、まだ貧しい人はいっぱいいるのだ。中国では、市場経済を取り入れながら、外資企業、個人企業、合弁企業などの企業も発展させていて貧富の差が大きくなる一方だ。
2005年7月までに中国で設立された外資企業は、もう533,593企業となった(『国際商報』)。個人企業の数も、中国全土のすべて企業の半分を超えて2398.4万企業となって、企業の50.57%を示している(『人民日報』 海外版 11月1日)。こういう非公有制企業のなかに、農民工問題に似ている問題がたくさん残っている。この事を絶対忘れないでほしい。中国政府は、すでにこういうような問題に手を入れて政策を取っていて、実績を上げているのだが、国民の方はまだ十分な関心を寄せているとは思われないのである。中国政府は、「調和のある社会を築こう」というスローガンを出している。調和の意味に、労働者と社会の調和も含まれている。小林多喜二文学があまり読まれなくなっている状況と、農民工問題が明らかに対立しているのである。一言で言い換えれば、それは、現実と考えの不調和なのだ。真の調和のある社会を築こうとするならば、全社会の力が必要である。こういう点から言えば、以上の農民工問題を解決するために、政府だけではなく、国民にも労働者たちの労働現状に目を向けて欲しい。つまり、国民全員の力がないと、貧しい人間は一生貧しいままで居るしかほかにないのである。それができれば、中国は社会主義国だから、こういうような問題を解決するにはわりと易しいのではなかろうか

終りに

以上から、いつも貧しい労働者たちの立場に立って同情している小林多喜二文学は、今のすばやいスピードで発展している中国にとっても時代遅れではなくて、まだまだ十分な必要があると思う。というのは、今の中国で貧しい労働者はまだたくさんいるからである。彼らは社会の弱い立場に立っている群であって、社会の援助(同情)が不可欠である。貧しい人はどんなに貧しいかは、もういう必要がないと思うが、金持ちの人であっても、貧しい生活をした経験を持っていて、少なくとも貧しい人を見たことがあると思う。だから、我々は貧しい人を無視してはだめであり、無視してはいられないのだ。小林多喜二文学は貧しい人のための文学であるが、金持ちの文学でもあると思う。
小林多喜二自身は、「我々の芸術は飯を食えない人にとっての料理の本であってはならぬ」と言っている。貧しい人がいる限り、小林多喜二文学が要るのである。

参考資料:
1張如意:『中国における小林多喜二文学の再認識』(『小林多喜二生誕100年没後70年記念シンポジウム記録集』2004年 東銀座出版社)
2張如意:『中国の大学生から見た小林多喜二―アンケート調査から―』(『いま中国によみがえる小林多喜二の文学』2006年 東銀座出版社)
3
4松沢信祐:『近代文学の流れから探る――小林多喜二の文学』(2003年 光陽出版社)
5伊豆利彦:『戦争と文学-いま小林多喜二を読む』(2005年 本の泉社)
6島村輝:「時代を撃つ言葉、世界を織る言葉」(『生誕100年記念小林多喜二国際シンポジウムPrat2』2004年 東銀座出版社)
7伊豆利彦:『蟹工船』論
『小林多喜二 徳永直集』(集英社)

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[2007/3/9]

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時代を撃て・多喜二