第1回 河北大学・小林多喜二研究奨励論文募集応募論文

<第二席>

小林多喜二の作品における母親像について
―『党生活者』と『母たち』を中心に

大学院2年 史艳玲(史艶玲,しえんれい,女性)

小林多喜二の作品は、思想性を重視し芸術性が足りないという指摘の声をよく聞く。しかし、小林の作品群を通読してみると、芸術性の高いものが少なくないことに気づいて来た。特に『党生活者』と『母たち』の両作品の中に、人間性に富む母親像の描写および心理描写などの手法を通して、小林作品の高い芸術性が確認される。

キーワード:母親像  人間性  芸術性

多くの文学史研究者は、プロレタリア文学が1920年代の文壇を主導していた状況と活発な理論の展開に比べて、芸術的完成度の高い作品の収穫は少ないと指摘している。当時のプロレタリア文学は、芸術的感動より政治的革命を第一の目標としていたので、創作の技法よりテーマや思想性を重視したのであろう。しかし、その中にあっても、世の中の注目を浴びた、芸術性の高い作品が少なくない。
小林多喜二の作品群を読むと、政治的な路線を踏みプロレタリアの大衆の覚悟を目覚めさせるだけではなく、作品の創作方法においても力を入れていることに感心させられる。特に『母たち』という短編小説と『党生活者』を読むと、社会の下層に生きた民衆生活の辛さと将来のために戦う姿に感心させられると同時に、作品の中から自然に流れてくる穏やかな親子の情愛に深い感動を受ける。
世界文学史上では、母親をテーマにして、トップを切る文学作品といえば、旧ソ連のゴーリキーの『母』に優るものはないだろう。ゴーリーキーの『母』は真正面から、母親としてどういうふうに普通の貧苦大衆の一員から他人を感心させるプロレタリア戦士になったのかを描いた。しかし、小林多喜二作品の中の母親像はそれとは違うような気がする。
まず、それぞれ個性が違う母親が描かれている。『母たち』は1930年12月1日、北海道地方の左翼労働団体への大規模な弾圧「十二月一日事件」を扱っているが、多喜二の母親らしい母を語り手として、階級闘争下の娘、息子、夫たちの逮捕や裁判により動揺する母たちの嘆きや迷いや苦しみや抵抗を、それぞれ等価な形で描き出している。中には息子可愛さのために子供たちが検挙されるような運命を受け入れて少しずつ歩みだしている伊藤の母、高い教育を受けインテリで息子の活動の意味も理解する山崎の母、息子の出世を楽しみに生きてきて、その夢が破壊された恨みを息子の同志たちの母にぶつけたり警察に訴える進ちゃんの母、幼児を抱えて貧乏暮らしが夫の検挙によっていっそうどん底に陥った困惑する妻など、どのタイプにも加担することなく描き分け、作者は暖かい目差しから世間の可能なる母親像を描いている。
その中で、伊藤の母と山崎の母はもちろん進歩的な、積極的な母親の代表である。それに対して、湾岸労働者大川のお上さんは夫の革命運動に鈍感であり、上田の新ちゃんの母は、息子の活動に初めから最後まで反対する態度をとり、母親の積極的人物像を表現するのにかえって損に見えるが、実はそうではない。それこそ現実世界の母親である。厳しい現実の世界にいろいろな母親が存在するように、物事の道理に合うことだ。
次に、個性が違っても母親が息子に対する情愛が一致して描かれている。小説を読めば、誰でも母親の情愛に感動せざるを得ないと思われる。
たとえば、監獄にいる息子に「お守り」を送ったりした伊藤の母は、監獄の中の息子のことを可愛そうに思って、息子に合わせて家の中の蒲団まで一枚ずつ剥ぎとってしまう。蒲団のことから息子と同じように冬の寒さを凌ぎたいという母の気持ちが窺われる。さらにもう一人、上田の進ちゃんの母は、検挙の知らせに駆けつけた伊藤の母を怒鳴りつけ、連日警察の特高室に出かけて行っては警察を馬鹿呼ばわりしたり、息子を拷問する警察を訴えてやると喚き散らし、息子への差出入れ物を持って行っては特高室をいっぱいにするといった言動を取り続ける。そして伊藤の母に対して、腕のいい旋盤工で将来性のあったわが子に悪い影響を与えたのは伊藤の息子に違いなく、もしも自分の息子に何かあったらうらみ殺してやると言う。理性に欠く言動であるが、一字一字から、息子の進ちゃんへの誇りと愛情がしみじみ滲み出ている。また、赤ん坊を背負った湾岸労働者大川のお上さんは、娘、息子、夫を検束された家族の集まりで、出されたみかんを剥きながら、夫にも食べさせてやりたいと鼻をすすり上げた。短い言葉だが、夫への思いやりの気持ちが窺われる。
ここまで言うと、『党生活者』の中の母親を思い出した。
『党生活者』は1933年4月、5月の「中央公論」に『転換時代』という名前で発表された。小説は作者本人の地下活動の体験と藤倉工場の労働者の闘争を素材にして、中国への侵略戦争開始後の労働強化と低賃金に動揺する軍需工場での共産党細胞の反戦、生活擁護の闘争を描くとともに、弾圧と特高の追及下のきわめて困難な地下活動のもとにおかれた共産党員の生活と不屈の闘争を描き、「日本文学で初めて共産主義的人間像の典型を造形した」と言われている。
しかし、作品の中に無視できない人物に母親がいる。ずっと息子に会いたい母が本当に息子に会うと、会っている間に捕まるのではないかということを心配してすぐにも別れようとする。そして自分が死んでも、お前がもし家に帰ってくると捕まるから、死んでもお前には知らせないということを言って別れる。小説の字間から、息子に会いたくて会いたくてたまらないものの、息子の安全を考えると諦めざるをえない母親の情愛が溢れ出ている。
また、こういういろいろな母親の人間像を表現する際に、作者はいろいろな表現方法に力を入れている。特に、言動についての描写や心理描写などに多くの工夫が用いられている。『母たち』の中の伊藤の六十歳近くの母は、親類の者たちに反対されながら、ナップの機関紙『戦旗』に関する重要書類を秘密に預かってやったりする。息子の行動の意味をちゃんと理解した山崎の母は、検挙に慌てる息子よりしっかりと対応して、息子に代わって活動の証拠を便所に捨てて始末する。『党生活者』の中の母親は息子に会うとき、余所行きの一番いい着物を着ていた。ここまで読むと、これからまた息子に会えないのかなという哀切の情が心に浮かんできた。息子が刑務所にいるときでも手紙のやりとりができるようにと、小学校にさえ行ったことのない母ではあるけれど、「いろは」を習い始めた。また母と別れた後で、母は、警察に追われているのだから肩を振る癖をやめるように言われた。息子への母親の心配が窺われる。
人物像の表現のほかに、文章前後の呼応にも力を入れている。たとえば、検挙された息子を見舞いに行った時、労働者風のお上さんと会った。それから二人が分かれる際に、「背中の子供は頭が大きく、首が細く、歩くたびにガクガクと頭がどっちにも転んだ。」とあり、窪田主催で母親たちはと細君が集まって、別れる際に「この前見たときよりも、赤ん坊はもっと頭が大きく、首がもっと細くなって見えた。そして赤ん坊らしくなく終始眉を顰めていた。」とあった。このような前後呼応した書き方をして、国民生活が一段と低下していることを読者に分からせている。
伏線を敷く手法も使われた。小説最後の公判という節になると、伊藤、大川の公判結果を見れば納得できるようだが、伊藤の妹、上田の進ちゃん、山崎の公判結果を見たら少々意外だと感じせざるを得ないだろう。しかしじっくり前文を読んだら、この結果が、妥当だと思われる。
とにかく、人間性に富む平凡な母親像を通して、もっと広い範囲で小林多喜二の作品を理解することができる。特に非凡ではない母親の描写によって、本格的な母親の人間性を表している。人間性に富む母親像の描写によって、もっと読者の心を打つことができるのである。政治あるいは情勢を表現しようとするプロレタリア作品も、文学的な意味を失いはしないと言えよう。

参考書物:
『定本 小林多喜二全集 第十五巻』(新日本出版社  1978年6月)
『日本現代文学全集 30  中野重治小林多喜二集』(講談社 1980年12月)
『解釈と鑑賞』「文学」としての小林多喜二 (至文堂 2006年9月)

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[2007/3/9]

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時代を撃て・多喜二