第1回 河北大学・小林多喜二研究奨励論文募集応募論文

<第二席>

[防雪林]の芸術創作について

東北師範大学院 日本研究所日本言語文学専門
韓玲玲(韓玲玲,かんれいれい,女性)

始めに
小林多喜二は日本プロレタリア作家であり、彼の[一九二八年三月十五日]、[蟹工船]及び[党生活者]などの作品は、発表されるとすぐに全世界でたくさんの読者を勝ち取った。もちろん、小林多喜二の名声は、この「プロレタリア作家」という輝きに覆われることとなった。実は、小林多喜二の三十年足らぬ生命旅程に、彼の優秀な作品は上述したものだけではなくて、彼の芸術創作才能も劉振瀛先生の言った「ただ六年」だけではない。ここに[防雪林]の芸術創作をめぐって検討していきたい。

[防雪林] をめぐって
[防雪林]は1927年に出来上がった。この時期に、日本国内では経済パニックに襲われつつあって、銀行が倒産し、工場の操業も停止し、生産も大幅に下がってきて、大量の失業者が街に溢れていた。それと同時に農村では地主と高利貸資本の搾取で、しかも年々の不作で、農民の生活は苦難に覆われていた。それに、国内の社会的矛盾もさらに激しくなり、労働者と農民の革命闘争が盛んになってきていた。1926年の冬に、北海道の富良野農場で地代を減らすための闘争が始まっていて、次の春に、この戦いは農民の勝利で終わった。その直後から、小林多喜二はこの作品を書き始めた。その時に、農民問題は現実の生活での一番大切な問題であって、農村の矛盾もだんだん鋭くなってきて、農民と労働者が連合して、地主資本家と激しく対立して戦っていた。近代の日本作家では、工場労働者の搾取される状況を題材にした作品は既に現れていたが、多喜二は一番早く文学作品で労働者と連帯して戦う農民闘争も取材して創作した作家である。
[防雪林]の原稿で、多喜二はサブタイトルとして「北海道に捧ぐ」と書いている。北海道は小林多喜二に対して、特別な意味を持っている。小林多喜二は4、5歳の時に北海道にきて、小樽に20年ぐらい住んでいて、まったく北海道が自分の故郷と認識していた。この故郷に対して、多喜二の愛情は深く、彼の作品のいたるところにそれが溢れている。
小林多喜二は1927年11月23日の日記でこう書いた。「防雪林(石狩のほとり)約百二三十枚位の予定で三四枚程書いた。(月初めに)そのままになってしまった。これは是非完成さしたいと思う。原始人的な末梢神経のない人間を描きたいのだ。チェルカッシュ、カインの末裔の如き。そして更に又、農夫の生活を描く。」
確かに、小林多喜二はこの通りにやり切った。[防雪林]はこせこせしない筆で北海道の自然環境をスケッチして、細やかなる観察と地味な描写で、北海道での農夫の生活を読者の前に展開している。特に主人公源吉の人物像は、単純で一気にやり遂げて、わざとらしい感じが少しもない。この文章で、作家は自分の意図でわざわざ主人公の人物像を変えないで、無政府主義者から共産主義者に書き直している。逆に主人公源吉の性格を少しずつ展開してきて、新時代の北海道農民のはっきりした反抗精神を文章にありありと写し出している。この点から見れば、この小説の芸術性は多喜二のほかの作品を超える。
日本のプロレタリア作家・江口渙は[防雪林]を評論した時にこう言った。「自然描写における彼の作家的技術は実に鮮やかに示されている。小林多喜二の力量は、たんに階級作家としての優秀さに限られただけではない。このような自然描写のすばらしさにおいても、近代日本文学史の中で、ほかにあまり類を見出すことのできないほどのものを示している。」小林多喜二の筆によって、北海道の石狩平原は絵のように読者の前に現れる。「何処を見たって、何にもなかった。……鳥が時々慌てたような飛び方をして、少しそれでも明るみの残っている地平線の方へ二、三羽もつれて飛んでいった。」ただ短い文が五つであるが、石狩平原の広さと寂しさが紹介されていて、この文章の主旋律も決定づけている。ここは社会が冷淡にあしらう所であって、ここでの生命である――ポプラが揺れていた;鳥が時々慌てて飛び出す……それでは、ここでの人間はどうか? こんな暗い旋律では、ここに生活している人間がどういう生活しているかと心配せずにはいられない。
「屋根が変に、傾いたり、泥壁にはみんなひびが入ったり……だから、そこへは五月の氾濫が済んでからでなくては、作物をつけなかった。」源吉のお母さんは「薄暗い煙の中では、せきは人間ではない何か別な「生き物」が這い蹲っている」ように思われた。これで、北海道農夫の生活状態は一目見ればすべてわかる。この方面について、多喜二は志賀直哉のありのままに描く方法を勉強して、北海道の開拓農民の耐え難い生活を確実に読者に伝えた。
もちろん、多喜二の自然環境描写の才能はこれだけではなく、[防雪林]で、彼の書いた大自然は、風の音とか、雨の音とか、暴風雨と一緒に、その雰囲気を盛り上げて、人物の気持ちとプロットの変化を引き立たせている。
「日が暮れ出すと、風が少し強くなってきた。一寸眼さえ上げれば、限りなく広がっている平原と、地平線が見えた。その広大な平原一面が暗くなって、折り重なった雲がどんどん流れていた。」
「外では、時々豆でもぶっつけるように、雨が横なぐりに当たる音がした。」
このすさまじい暴風雨の様子は、側面から源吉の確固たる信念と内心での強い「官」を反抗する意識を照り生える。それだけでなく、源吉は自然を恐れないで、自然と闘い、勝利を勝ち取る原始精神を更に深化させる。自然の前に、人は無力である。特に農夫はそうである。彼らは自然に従って、成り行きに任せる。こういうことは一世代上の農夫の身の描写において徹底的に暴いて見せている。彼らは保守的で、無知で愚かで、いつも地主と和尚の話を聞き入れて、毎日に「南無阿弥陀仏」と繰り返して、来世を期待している。源吉たちが地主に「嘆願」しなければいけない時にも、「地主様」になんか、どうか手荒いことをしないでくれと拝んでいる人もいる。でも、新時代の農民としての源吉は、これらの人とは違った。これは雨の日に魚を取る事件から現れる。まずは、禁止令があって、「官」は魚を取るのを禁止する。次に、この「官」の代表「道庁の役人」はもう村にきていて、「北村の宿屋」に住んでいる。――すぐ近くにあるところである。それに天気がよくなくて、豪雨が時々あって、石狩河もぎらぎらの恐ろしい光が現れた……こんな状況で、源吉は相変わらず網を担いで、元気を出して魚を取って、満載にして帰った。これはこの文章の主人公――封建的統治に挑戦できる源吉の初めての勝利であるといっても分を超えない。
この文章でのもう一つの優秀な環境描写は、地主の差し押さえを避けるために手持ちの農産物を町へ売りにいく農民たちが、雪の石狩原野を馬橇の編隊で突き進む場面、更に思いがけない警察に蹴散らされて村へ逃げもどる途中で夕暮れの大吹雪に巻き込まれていく場面である。
「吹雪が竜巻のように大きな物凄い渦巻を作り、それが見ているうちに、大理石のような円筒形のまま、別な方からの強風と一緒になって、馬橇を乗り越していった。と、その百姓がかぶっていたむしろが、いきなり剥ぎとられて、空高くに舞いあってしまった。風は自由気ままに、そして益々強くなっていった。」
この時に、源吉の心はこの吹雪のように何かに沸きかえっていて、彼は農民生活の苦難の源を見つけ、自分の敵も発見した。ここ20年来の苦しさには答えがあり、彼は頭を止めないでこれらの敵にどう対応すればいいか、どうすればこの苦しい淵から出ることが出来るかと考える。一頻りに彼の意気込みがこの吹雪のように止まらないで、それにより一刻ごとにすさまじくなる。この時の大吹雪は確実に主人公源吉が覚悟して、彼が勢いを出して行動すべき時間がすぐくると暗示する。これも後に源吉が地主の家を焼く行動の暗示である。
[防雪林]の人物像において、小林多喜二は日本文学で主人公の性格を弱くする特徴を破棄して、インクを集中して源吉を代表とする農民の姿を描く。主人公源吉は豪気で勤勉で、苦労を買い、原始的で、北海道農民の典型的な代表である。多喜二本人が貧困農民の出身であるから源吉の思想感情を適切に把握できる。源吉は愛と憎しみがはっきりしていて、冒険で取った魚を村の農民に配った。それと同時に、源吉は鋭い観察力とじっくり考える能力があり、小さいころから地主が彼の家庭と周りの農民の不幸な原因であるのがわかった。農民と警察が衝突してから、彼は社会制度がただ金持ちの利益を維持して、貧しい人の敵であるとわかってきた。自分の恋人であるお芳の問題については、彼は愛と恨みがいり混じり、苦しさのあげく、お芳への愛を地主階級への恨みに変えて、「お芳からお先だ。」と考え出した。ここに彼は敵の本質をはっきり読めるのが見える、この直接的な表現も彼の階級的な敵への徹底的な恨みである。
小説でのもう一つの描写成功の人物は母親の姿である。母は作品の中で一時代の農民の典型な代表である。彼女は北海道の劣悪な農村環境で日夜に働いて、和尚が来るたびに敬虔に説教を聴いている。生活の境遇に不満は持っているけれど、相変わらず畏敬と恩に感じる気持ちで生きている。由が足先で芋をあっちこっちへ,ごろごろさせた時に,彼女は火箸で由を殴って、「ん、この罰当たり」と叱った。1年に1回の祭りがくる時に生活がどう苦しくても、彼女はおいしい食べ物を作った。彼女の心に「これはやらなければいけないこと」と思っている。このすべてはお母さんの生活への愛の表現である。他に、母は内地の故郷のことをいつも懐かしんでいて、常に故郷に戻るという。これは北海道に移住していた開拓農民が故郷への愛情を見せる表現である。自分の息子である源吉が村人と一緒に「嘆願」に行くのを意識すると、彼女はもっと頻繁に「なむあむだぶつ」と繰り返していって、原始的に保守の方式で息子の平安を祈っている。
この作品では、小林多喜二は初めて人民の全体像を描いた。これらの人物は地主への反抗をめぐって,生き生きとした新勢力になってきた。リーダーとしての石山の農民式の発見及び周りの農民の話は、農民思想意識の弱さと無知を現している。それと同時に何の階級的自覚を持たない農民も、その生活が追い詰められると自然発生的に組織されてゆくことを現している。しかし、こんな組織は源吉の「地主から畑ばとッ返すのさ」との声の中に急に静かになった。ここから見ると、いい指導者または明確的な行動綱領がなければ、農民の自発行動はあくまでも徹底できない。
小林多喜二の書いた[防雪林]は、広大な社会背景において、プロットもきっちり詰まっていて、読んでも簡単なのに非常に洗練された文章である。禁止令に背いて魚を取る事件から源吉の自覚が深まる様子や、芳が自殺してから源吉が地主の家を焼くまで、この3つの事件は少しずつ、地主資本家と天皇政府を代表する警察が結託して、素朴な農民を侮り抑圧する事実を暴いていく。それを通して、農民階級と地主階級の対立及びこのカテゴリーの対立矛盾の源――絶対主義的天皇制を反映させる。一方、人民の悲惨な立場及び人民が自分の運命を変える強い意志と反抗精神も反映させている。
終わりに
プロレタリア文学作品の中では、その頃に、葉山嘉樹が[淫売婦] と[海に生きる人々]などを発表し、黒島伝治も[豚群]と[渦巻ける烏の群]などを発表していた。それに対して、[防雪林]は1927年12月から書き始め、1928年4月に出来上がったのに、小林多喜二が犠牲になってからしばらくした後、戦後に[小林多喜二全集]を整理する時に発見されて、1947年に発表された。ここに、多喜二は自分の作品に厳しく対する態度が見える。小林多喜二の文学創作道を概観すると、[防雪林]は明らかにその後の[不在地主]の下書きになった。が、小林多喜二の前期の作品としては、この小説の芸術価値はおろそかにすることができない。[防雪林]は多喜二の移り変わる時の作品としては、彼の文学創作品の重要な里程標であるといえる。彼の初期の作品と比べると、彼の視野ははっきりと広まった。この作品は強い色彩感情を持っていて、現実の生活と溶け合って、完璧な芸術風格を備えている。それに、この作品は、小林多喜二が初めて重大な現実意味を持っている主題を取って創作したのである。これはこれからの彼の創作の特徴になる。この小説では、彼が以前の作品に書いたことがなかった思想が、進歩する人物が出てきて、これらの新型人物は孤独な反抗者ではなくて、ある階級として舞台に上がってきた。ここから、多喜二の作品での主人公――[一九二八年三月十五日]での渡にしても、[党生活者]での佐佐木にしても、覚悟がある革命人士である。小林多喜二は自分自身に対して、この作品をきっかけに彼はマルクス·レーニン主義をちゃんと勉強していて、実際の闘争に投身して、自分に厳しく要求して、芸術において改善し続けて、やっと日本のもっとも優れた革命作家になったのである。

参考文献:
[1] 呂元明 『日本文学史』 吉林人民出版社 1987
[2] 中村光太郎 卞立強、俊子 『日本近代文学史話』 北京大学出版社 1986
[3] 叶渭渠、唐月梅 『日本現代文学思潮史』 中国華僑出版公司 1991
[4] 三好行雄、浅井清 『 近代日本文学小辞典』 有斐閣 1982
[5] 小田切秀雄 『日本近代文学の思想と状況』 法政大学出版局
[6] 楼適夷等 『小林多喜二小説選』 人民文学出版社 1965
[7] 劉振瀛 『日本文学論集』 北京大学出版社 1991
[8] 孫蓮貴など 『日本近代文学作品評述』 天津人民出版社 2000
[9] 『小林多喜二全集第1巻』 新日本出版社 1987
[10] 小林多喜二  『防雪林 不在地主』 岩波書店  1954
[11] 手塚英孝卞立強訳 『小林多喜二伝』 吉林人民出版社 1982
[12] 吉田精一 斉干訳 『現代日本文学史』 上海人民出版社 1976
[13] 刘柏青 『日本無産階級文芸運動簡史』 時代文芸出版社 1985
[14] 小林多喜二 文洁若訳『防雪林』 山西人民出版社 1982

>>応募論文一覧

[2007/3/9]

白樺文学館 - 小林多喜二の書簡 常時展示中

時代を撃て・多喜二