第1回 河北大学・小林多喜二研究奨励論文募集応募論文

中国人民の日本友人:小林多喜二
        ――小林多喜二が虐殺された後中国での反響と記念活動を中心に

:中国人民的日本友人:小林多喜二
――小林多喜二被虐杀后在中国的反响及纪念活动为中心

:The Japanese Friend of Chinese People: Kobayashi Takiji――Centre on the Repercussions and Commemorative Activities After Kobayashi was killed with Maltreatment

外国語学院日本語科·院生1年
劉 雲 (劉 雲,りゅう うん,Liu Yun,男性)

小林多喜二は日本の最も傑出したプロレタリア作家であり、日本のプロレタリア革命事業のために、彼は貴重な生命を捧げた。20世紀30年代、日本のファシストの残酷な弾圧の歳月の中、また非常に苦しい条件の下、小林多喜二は強烈な憤激と強靱な気力で日本プロレタリア階級の勇敢な闘争を反映する輝かしい作品を書いた。日本のプロレタリア文学のために頑丈な基礎を打ち立てた。小林多喜二は優れたプロレタリア文学者であるとともに、傑出した革命家でもある。

1931年に日本の軍国主義者は突然「九·一八事変」を引き起こし、中国を侵略する戦争を始め、横暴に中国の東北の山河を占領した。その後、日本と中国の両国人民は中国を侵略する戦争の反抗運動を行った。一方、日本のファシストの残酷な弾圧のため、日本革命運動には衰退が現れて、日本のプロレタリア文学運動も暗黒の時代に入った。1933年に、彼らは中国への侵略戦争に反対する日本の著名なプロレタリア作家小林多喜二を殺害した。このひどい事件は当時日本文壇へ激震を与えただけでなく、世界の人民と進歩的な作家をも激怒させ、みんなは次から次へと弔電を打って哀悼し、日本のファシストの暴行を激しく非難したのだ。特に中国での反響は最も激しかったのである。

(一)小林多喜二が虐殺された後中国での反響

「九·一八事変」即ち「満州事変」が始まった2年後の1933年2月20日に、日本東京の築地警察署で、特高警察は日本の著名なプロレタリア作家小林多喜二を逮捕し、直後に拷問、虐殺した。そのことが中国に伝えられた後、非常に激しい反響が起き、マスコミですぐに大きな風波を引き起こさせた。新聞や雑誌などが記事を載せるとすぐさま、たくさんの中国作家が憤怒して日本のファシストの暴行と犯罪を厳しく非難する文章を書いたのである。

1933年3月12日の『申报·自由谈』で「小林多喜二之死」という文章が発表され、小林多喜二が虐殺されたことを最初に報道した。その後、1933年5月に出版した雑誌『現代』第三巻第一号に、当時の著名な新聞記者の朱雲彤が書いた記事「日本通信」を掲載した。その中に、「小林の死、確かに作家同盟の最大の打撃である。」「同盟の旗は断ち切られた。小林と蔵原惟人は同盟を支える二つの脊柱である。」「小林は日本のプロレタリア文学運動の最も偉大な指導作家であり、彼は日本のプロレタリア文学運動の作品と発展を代表した。」また、「小林は慧星のように現れて、相前後して『蟹工船』、『不在地主』、『工場細胞』、『沼尻村』などを生んで、それらの力作は当時の日本文壇を揺り動かして、敵もプロレタリア文学が健在であることを承認しなければならなかった」などと記した。

「九·一八事変」、「上海事変」などで、中国の無数の家庭は日本ファシストの砲火によって壊されて、無数の身内の同胞が日本軍の刀の下で惨死した。それが中国人民の戦争の痛ましい体験である。このような経験を通して、中国の作家たちはすぐに日本での小林の家族の救援を思い付いた。小林多喜二逝去の後、中国で非常に速い掲載で、「小林はまったく寄る辺がない母親と幼い弟を残した」ということを報道すると、中国の作家たちはすぐに小林多喜二の母親に救済寄付金を募ることを提案した。

为横死之小林遗族募捐
日本新兴文学作家小林多喜二君,自‘九·一八’事变后即为日本国内反对侵略中国之一人。小林君及其同志的活动不但广布于日本劳苦大众间,更深入于日本的海陆军,因此,深受日本帝国主义的畏忌,必要杀之。小林君及其同志在严重的白色恐怖下犹复努力进行反抗日本军阀的工作。日本警察探网密布,终于在本年二月二十日侦得了小林潜藏的所在而加以逮捕,沿途殴打,未到警察所而小林已被打死了。小林君生前著作有《蟹工船》,中国早有译本,我著作界同人当及久耳其为人。现在听得了小林君因为反对本国的军阀而遭毒手,想及同愤慨。小林君故后,遗族生活困难,我国因此发起募捐慰恤小林君家族,表示中国著作界对于小林君之敬意。是为启。
"发起人:郁达夫 茅 盾 叶绍钧
陈望道 洪 深 杜 衡
鲁 迅 田 汉 丁 玲

以下は、この「横死の小林の遺族のために寄付金を募る」文の日文訳である。

「日本の新興文学の作家である小林多喜二君は、「九·一八事変」の直後、日本の国内で中国への侵略戦争に反対した第一人である。小林君及び彼の同志たちの活動は日本勤労大衆の間だけではなく、更に日本の海軍と陸軍に深く入り込んでいた。そのため、日本の帝国主義はその影響力を深く恐れ、何としても殺害せんとした。小林君及び彼の同志たちは深刻な白色テロの下でも、日本の軍閥に抵抗する仕事に努力した。日本の警察は捜査逮捕の網がすきまなく広げ、ついに今年2月20日に小林の潜む所在地を探り当て、そして小林を逮捕して殴打し、警察所へ到るまでに小林はすでに打ち殺されていたのだ(このところには間違いがある。)小林君は生前の著作に「蟹工船」があって、中国では早くから訳本があり、私達著作界同士は小林君の人となりを知って、すでに久しい。本国の軍閥に反対するため、毒手に遭った小林君のことを聞いて、皆もきっと同じく憤慨していると思う。小林君が虐殺された後、彼の遺族の生活が困難になっている。そのため我が国は小林君の遺族を慰める寄付金を募ることを始め、併せて中国著作界が小林君への敬意を表す。以上は寄付金募集文である。」

発起者の9人郁達夫、茅盾、葉紹鈞、陳望道、洪深、杜衡、魯迅、田漢、丁玲は、みんな当時の中国文学界で有名な作家である。この「横死の小林遺族のために寄付金を募る」をテーマとする寄付金募集の文は『文芸月報』、『文学雑誌』及び新聞などにすべて掲載された。募集文というより、実際には日本帝国主義を糾弾する文章となって、中国で広い範囲で強烈な反響を引き起こしたのである。また中国各界の人士の共通認識と同情も引き起こされた。

(二)中国の左聯作家の抗議と声援

中日两国人民亲如兄弟,资产阶级欺骗人民,用血在我们中间制造鸿沟,并且继续制造。但是无产阶级和它的先锋队正在用自己的血来消灭这鸿沟,小林多喜二同志的死就是一个明证。这一切我们是知道的,我们不会忘记,我们正在坚强地沿着小林多喜二同志的血路携手前进。
          

鲁迅
同志小林ノ死ヲ聞イテ
「日本ト支那トノ大衆ハモトヨリ兄弟デアル。資産階級ハ大衆ヲダマシ、其ノ血デ界ヲエガイタ、又エガキツツアル。併シ無産階級ト其ノ先駆達ハ血デソレヲ洗ッテ居ル。同志小林ノ死ハ、其ノ實證ノ一ダ。我々ハ知ッテ居ル。我々ハ忘レナイ。我々ハ堅ク同志小林ノ血路二沿ッテ、前進シ握手スルノダ。」
鲁迅

(『魯迅研究資料編目』上海文芸出版社 1985年 491ページ)

上の弔電は、当時中国左聯文学界でみんなから最も尊敬された作家の魯迅が、小林多喜二の死を悼むため、中国人民と中国左翼作家連盟(左聯)を代表して送った弔電である。

短い弔電だが、親切でまた深い内容で、中国革命作家たちが日本の革命作家に深く情誼を抱いたことを充分に記している。また、日本のプロレタリア運動にも熱い関心を示した。この弔電は中日両国のプロレタリア運動及びプロレタリア文学史、また中日文化交流史でも非常に重要な文献と資料となった。中日両国プロレタリアと其の先頭隊を血で結んだ人民の友誼は、誰にも破壊できないものと表明された。

中国の著名な、また傑出していた作家である郁達夫は、「小林多喜二殺害のため日本警視庁への檄文」を『現代』第3巻第1号に発表した。この弾丸のような短い檄文の中で郁達夫は、日本ファシストのこの蛮行を「強盗の行為」、「けものの行為」と呼び、日本の所謂『治安維持法』と特高警察のファシズム国家を批判した。日本帝国主義の侵略戦争と小林の虐殺は繋がっており、

「あなた達は満州侵入に出兵した時、上海併呑に出兵した時、たとえ唯一の口実は当地の治安を維持するため、当地の日本人の生命と財産を保護するためであっても、今あなた達の国で、自分の人民の生命を保障することさえできず、あまつさえ社会の幸福のために奮闘する自国の一人の国民を残忍に殺害した。まさかあなた達の所謂治安を保障する天職は、狂犬と同じに噛んで殺すことではあるまい。」

このように日本ファシストの暴行を摘発するとともに、郁達夫はまた「小林を謀殺することに参与した人は、すべて刑法によって、死刑が与えられなくてはならない。」と悲しみ憤る気持ちを表した。
この檄文で、郁達夫は日本プロレタリア革命の犠牲になった小林多喜二への崇敬の気持ちを表すと同時に、 彼の後の人生の道をも公示した。日本帝国主義に骨身にしみる民族の憎しみを持っている彼は、「九·一八事変」の後、積極的に日本軍に抵抗して国難を救う運動に身を投じて、後に日本侵略軍の憲兵に惨殺されたのである。

(四)まとめ

中国の左翼の作家たちは1920年代から日本のプロレタリア作家と非常に密接な連絡があり、中国の左聯作家たちは戦争の災害が深刻な30年代を通して、小林多喜二の主要作品を読んで、また研究をしていた。そして、小林多喜二の作品を翻訳して、中国人民に伝えたのである。小林多喜二の革命文学と業績はすでに全世界の革命文学の歴史に記載され、永遠に輝く。

2005年は、世界反ファシズム及び中国抗日戦争勝利60周年である。また、同年には中国·河北大学で「小林多喜二国際シンポジウム」が開催された。国内外の数十校の大学、研究機関また学者たちが小林多喜二の文学、生涯、歴史的役割などを各方面から深く研究発表した。世界反ファシズムと中国の抗日戦争勝利60周年を祝う年に、「反戦主義、国際主義、平和精神」を提唱していた「中国・小林多喜二国際シンポジウム」の開催は、非常に重要な意義を持っている。私達は小林多喜二を記念して、中日両国人民の団結を一層強化しなければならない。また、日本での軍国主義の復活を共に防止しなければならない。歴史を鏡にして、未来へ向かって、中日両国の人民が代々友好的に付合っていくために努力し、奮闘する。

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[2007/3/9]

白樺文学館 - 小林多喜二の書簡 常時展示中

時代を撃て・多喜二