第1回 河北大学・小林多喜二研究奨励論文募集応募論文

『党生活者』についての私見

院生1年  馬 潔琼 (馬 潔琼,まけっきょう,Ma Jieqiongj,女性)

1.はじめに

第一次世界大戦後、ロシアは十月革命が爆発して、世界上の最初のプロレタリア独裁の国家を作り上げた。プロレタリア文学はこれから歴史上の舞台に上がって、中国、日本に大きな影響を与えた。小林多喜二はこういう時代背景でプロレタリア文学の道を探求した。短い生涯において、『蟹工船』や『工場細胞』、『不在地主』など数多くの立派な作品を書いたが、一番感動させられるのは『党生活者』である。
『党生活者』は、作者の死の前年の8月(すなわち1932年8月)に書きあげられたが、『中央公論』誌1933年の4、5月号に『転換時代』という仮題で、遺稿として発表されたものである。この作品が日本国内で軍閥、官僚、民間のファシズム勢力が頭をもたげ始めた30年代初期の日本社会を背景に、主人公の「私」は毒ガスマスクやパラシュートを製造する軍需会社-―倉田工業にもぐり、労働者たちにビラをまいて、資本主義の本質に目覚めさせながら会社側と戦ったということを描いている。日本プロレタリア文学の代表する作品である。
本論では、私はこの作品について芸術面でのいくつかの特徴を論じることにしよう。

2.集団から個人

20世紀の始めの日本は急速に資本主義の列強の行列に加わり、あとでまた列強の相互の争奪の第一次世界大戦に巻き込まれて、国内の対立は日々に激烈であった。日本国内のさまざまな矛盾した衝突の中で「労働者の文学」を生んだ。その時旧ソ連の文化芸術界では明確に「私達」が「私」に取って代わりにくることを出して、「私」を書かないで「私達」を書くと主張した。1925年、蔵原惟人はソ連から帰国してから、左翼の文芸評論の活動に従事して、直接にソ連の文芸理論をそのまま日本に伝わるのである。蔵原惟人は「第一に、プロレタリア前衛の『眼をもって世界を見ること、第二に、厳正なるレアリストの態度をもってそれを描くこと」を求め、これが「プロレタリア・レアリズムへの唯一の道」であると主張した。小林多喜二はこの理論に導かれて、『一九二八年三月十五日』に、自分に深い印象で刻まれていた人たちがすぐそばから次々に捕らえられるのを見せ付けられた衝動について書いた。「雪に埋もれた人口十五に満たない北の国の小さい街から、二百人近くの労働者、学生、組合員が警察にくくり込まれた。」「しかも、警察の中でそれら同志に加えられている半植民地な拷問が、如何に残忍きわまるものであるか、その事細かな一つ一つを、私は煮えくりかえる憎悪をもって知ることが出来た。私はその時何かの顕示を受けたように、一つの義務を感じた。この事こそ書かなければならない。書いて彼奴等の前にたたきつけ、あらゆる大衆を憤激にかり立てなければならないと思った」と小林多喜二は書いていた。『蟹工船』も隠蔽されている現代の先端にある事実の記録として書いた。二つの小説はプロレタリアの傑作であるけれど、生活観がなくなってしまった。このような作品を読むと、すぐには親しみをもてず、距離観があるという感じを生み安いのである。「集団を描こうとするあまり、個人がその中にぜんぜん埋没してしまう危険がある。」「プロレタリア作家は集団を描くために個人をぜんぜん埋没してしまってよいのだろうか? 否。唯物史観は決して歴史および社会における個人の役割を否定しはしない。(中略)集団の中の個人というふうに問題を立てなければならないのだ。」と蔵原惟人も批判した。
『党生活者』はこの欠点を克服して、特定の人物を一つ一つ描いた。日本プロレタリア文学の成熟な作品と見えると思う。主人公の佐々木を中心に、伊藤、笠原、須山、母親など生き生きした人物と浮きぼりされた。第一人称で書いたので、いま読むと、まったく自分が小説の中の私と感じて、頭の中で当時の状況を浮かべでいる。共産党の主人公と一緒に息することになる。
『党生活者』に描写したプロレタリアは感情性も持つ、その上に、生活の必然性も持つのである。

3.革命と恋愛

『党生活者』の恋愛関係から見ると、コロンタイの「革命に恋愛」という観念を貫くと私は思う。
コロンタイは、1920年代の初めに小説『赤い恋』を創作した。この小説はまったく新しい「プロレタリアの恋愛観」を広く宣伝した。「プロレタリアにとって、同志の間の愛情は最も理想的な愛である。この理想を実現する時、両性の関係は正式の手続きで永久の結合を取る、あるいは短い結合を取るのかは、すべて問題にならない。」とコロンタイは提唱した。彼女の作品の中で、革命者は随意な恋愛関係を持つのである。「志と信念が一致する」ことこそ愛情の基礎であり、また、この基礎は普遍的である。コロンタイの小説はそれぞれに日本まで紹介されて、日本プロレタリア小説に大きな影響を与えた。『赤い恋』は当時、日本革命者の中で感情のモデルとしてはやっていた。日本の左翼文壇において、このようなロマンチックな「革命と恋愛」というモデルは「コロンタイ主義」に変わって、日本プロレタリア作家に長期にわたって受け入れられる。小林多喜二はこういう影響を受けて、『党生活者』にもこういう感情のモデルを取り入れていると思う。

『党生活者』には笠原という女性が主人公の「私」と関係深い。敵の追跡を逃げるため、「その女は私が頼むと必ずそれをやってくれた。…女一人のところへ訪ねて行くのも変であったので…が私には今その女しか残されていない、そんなことを考顧してはいられなかった。」と思って、笠原の場所で一晩を住んだ。これをきっかけで、行くところのない「私」は笠原の所で住まなければならなかった。だんだん、一緒になるという気持ちが強くなった。「笠原は会社に勤めているので、朝一定の時間に出る。そうなれば私がぶらぶらしているように見えても、細君の給料で生活しているということになる。世間は一定の勤めをもっている人しか信用しないのだ。-―それで私は笠原に、一緒になってくれるかどうかを訊いた。」革命の便利のためだが、愛情も含めていると思う。一緒に生活した日々、「私」は「笠原をも同じ仕事に引き入れることにあると思い、そうしようと幾度か試みた。」ここでは小林多喜二の「革命と恋愛」の思想を表している。主人公が笠原のことに愛情を持ったから、同じ仕事をやりたいのである。同じ仕事の中で、また、感情を深めることができる。しかし、笠原がプチブルジョアの欠点を持っていたので、「私」の仕事を理解できなかった。こういう場合、同志になれなかったから、愛情もなくなったのである。「私」も「笠原はそれに適する人間でないことがわかった。いかにも感情の浅い、粘りのない女だった。」と笠原のことをいやがった。この小説の中で、伊藤ヨシという女性もあった。彼女は笠原と違って、女性プロレタリアである。「私」と同じ理想を持って戦った同志である。明確でないけれど、「私」と伊藤の関係のあいまいさをわかることができる。

4.女性像

『党生活者』に、女性は脇役ではあるが、一人一人自分の個性を持っていて、鮮明な人物像である。
○母親
「…それで今ではそういうことではかえって私のしている仕事を理解していてくれているのである。…私は今迄母親にはつら過ぎたかもしれなかったが、結局は私の退っぴきならぬ行動で示してきた。然し六十の母親が私の気持ちにまで近付いていることに、私は自分たちがこの運動をしてゆく困難さの百倍もの苦しい心の闘いを見ることができる気がする。」 -―(1)
「母は帰りがけに、自分は今六十だが八十まで、これから二十年生きる積りだ、が今六十だから明日にも死ぬことがあるかもしれない、が死んだということが分かれば矢張りひょっとお前が自家へ来ないとも限らない、そうすれば危ないから死んだということは知らせないことにしたよ、と云った。…」――(2)
「私」の母親はこの小説の中で一番目立つのである。母は誰でも自分の子供を愛しているのである。小説の中の母も息子が危ない仕事をするのでいろいろ心配している。母は「毎日のように、私が痩せ衰えた姿の夢や、警察に捕まって、そこでせっけんされている夢ばかり見る」、よく眠れなくなった。しかし、母は「その過去五十年以上の生涯を貧困のドン底で生活してきている。」ので、全生涯に支配階級に対する憎悪を抱くのである。息子の仕事が危険であるけど、日本人民を支配階級から解放されるので、息子に大きな支持をしてくれた。これは私にとって最大な支持である。(1)息子を守るため、肉親との関係さえ断ち切ってしまった。(2)これは親にとって、どんなつらいことだろう。だが、革命のために、私情を捨てる決心をした。徹底的な革命精神に富んだ母親の形象は紙上に躍如としている。
この小説の中で、伊藤の母親の形象も描いている。最初、どうにも伊藤の仕事に理解できなかった。何回も阻止したが、伊藤は「半日もしないうちに又家を飛び出し潜って仕事を始めた。」ところが娘と一緒にお風呂に入ったとき、伊藤の「度重なる拷問で青黒いアザだらけ」の体を見て、「急に自分の娘に同情し、理解を持つようになったというのである。」。警察、支配階級に憤慨が湧いた。その後、「二円と云えば四円、五円と云えば七八円も渡してくれて、「家のことは心配しなくでもいい」と云うようになった。」
親の愛情はともかく、階級から見れば、私と伊藤はプロレタリアの代表で、母親たちは労働人民の代表である。親たちが自分の子供の仕事を支持することは、日本の労働人民は無産階級を支持するものと考える。日本共産党の指導で成長して、目差して、プロレタリアのもっとも有力な盾になる。
○伊藤
この小説の中の唯一の女性プロレタリアとして、彼女についての記述された場面は多い。一方では、彼女は「高等程度の学校を出ていたが、長い間(転々としてはいたが)工場生活を繰り返してきた。」「この女は非合法にされてからは、何時でも工場に潜りこんでばかりいたので、何べんか捕まった。」が、これは彼女を鍛えたとした。残酷な拷問で体に青黒いアザだらけであったが、不屈で、しっかり共産党の信念を支えている革命者である。もう一方では、伊藤は女性として、女らしい優しさも持つのである。主人公の「私」と会う時、いつも「私」の生活上、経済上の面倒をよく見てくれた。「…やがて、買い物の小包を持ってくると、「これ、あんたに上げる――」…」「この頃あんたのシャツなど汚れてるワ。向うじゃ、よくそんなところに眼をつけるらしいのよ!」という場面は女性の繊細さを表した。
小林多喜二は正面から伊藤という人物を見事に書き上げている。女性プロレタリアに対する褒美の気持ちを含めている。女性は男性と同じように、立派な革命者になることができる。男女平等な思想も十分に示している。
○笠原
伊藤と違って、笠原はプチジョア、小市民の代表である。「左翼の運動に好意は持っていたが別に自分では積極的にやっているわけではなかった。」これこそ小市民の心理である。支配階級に圧迫されるが徹底的に支配階級に反抗する気持ちはなかった。又、前述のように、「私」は笠原に対する感情が複雑である。一方は人間的な感情で愛している。又一方は彼女のプチブルジョアの根性を批判するのである。「…「あんたは一緒になってから一度も夜うちにいたことも、一度も散歩に出でくれたこともない!」終いに笠原は分かり切ったそんな馬鹿なことを云った。…私は笠原に「お前は気象台だ」と云った。些細のことで燥いだり、又逆に直ぐ不貞腐れた。こういう性質のものは、とうてい我々のような仕事をやって行くことは出来ない。」
笠原の人物描写から、小林多喜二は小市民に対する態度が矛盾であると分かる。小市民はただ自分の個人的な感情、利益を追求している。こういう点で、小林多喜二は否定するが、革命性もあるので、全面的に否定するのではない。小説の中で笠原に、小林多喜二は小市民階級について、一種の同情も持つのかもしれない。

作品は作家の階級意識をはっきり反映するのである。『党生活者』の中の女性たちは違った階級立場である。母親たち――労働人民、伊藤――女性プロレタリアを肯定的に評価しているのはいうまでもないことであるが、笠原-―小市民に対する唯物弁証法の「弁証的な否定」という方法でとり扱っている。

5.終わりに

小林多喜二は1933年2月20日、築地署特高に逮捕され、拷問により絶命してしまった。まだ29歳であった。小林多喜二の死は日本プロレタリアにとって、莫大な損失である。最後の作品とされる『党生活者』はプロレタリア文学の傑作ともいう。日本でまったく新しい社会主義リアリズム文学の重要な基礎となる。日本では第一人称の書き方は私小説に多く応用したが、社会主義リアリズムに引用されたのは芸術上の創造である。この小説は今も数多くの読者、特に中国の読者に愛読されている。中国は社会主義であるので、このようなプロレタリア傑作が中国の地でもっと広く宣伝すべきである。

参考文献:
『いま中国によみがえる小林多喜二の文学』(論文集) 東銀座出版社 2005年
蔵原惟人 『小林多喜二と宮本百合子』 大月書店
神谷忠孝・北条常久・島村輝編 『文学としての小林多喜二』 至文堂 2006年
松沢信佑 『小林多喜二の文学』 光陽出版社

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[2007/3/9]

白樺文学館 - 小林多喜二の書簡 常時展示中

時代を撃て・多喜二