「2008年英国オクスフォード大学における小林多喜二記念シンポジウム」準備委員会に参加して ― 白樺文学館 松浦英雄

さる2月12日~13日、オクスフォード大学ペンブローク・カレッジにおいて
掲題の準備委員会が開かれました。参加したのは、当シンポジウム企画担当のリンダ・フローレス教授(オクスフォード大学ペンブローク・カレッジ)、ヘザー・ボウエン=ストライク研究員(米国)、島村輝教授(女子美術大学)。それに白樺文学館多喜二ライブラリー佐藤三郎学芸員と私が加わりました。

以下のご報告は、準備委員会での議論以外のところで私が個人的に見たこと、感じたことを記したものです。

2008年2月12日 空港ではいろいろな事が起こる

成田空港

正午発のVirgin Atlantic航空機でロンドンに出発すべく、成田空港駅に9時30分に到着しました。余裕を持った到着です。目指す航空会社カウンターに向かうため、インフォーメーションボックスの横に立って出発ウイング案内板をゆっくり見ていました。と、そこに一人の青年が小走りにやってきます。大きな旅行スーツケースを引っ張って。野球帽にジーパン姿、20歳台前半とお見受けしました。

この青年、やや早口で案内嬢に尋ねました「今朝 家を出て駅に向かう途中、パスポートのコピーを取るのを忘れたのに気付いた。それで、駅前のコンビニでコピーを急いで取って駅に急いだ」と、そのコピーを案内嬢に示しています。「ところが、肝心のパスポートをそのコンビニに忘れてきてしまった。なんとかこのコピーでハワイまで行けないでしょうか」。

案内嬢もやや驚いて青年を見上げ、「コピーではだめでしょう!」。これを聞いた青年は天を仰いで「アア、」。次の瞬間、今度は両膝をがくんと折ってうずくまってしまいました。
私はそれ以上居合わせるに忍びなく、何も見なかったかのごとく、静かに現場を立ち去りました。その日にせざるを得ぬであろう青年の後始末の幾つかを想像しながら。
ここで私は一つの教訓を得ました。それは、「パスポートのコピーは出発日に取らぬこと」。

中国パワー

出発ロビーでは出発まで時間があったので、免税店を眺めることにしました。
化粧品店から いい香りがしています。それに誘われるように中に入りました。Dior, Chanel, Lancomeなどのケースが並んでいます。30歳代のアジア人と思しき2組の夫婦が品物を手に取って話し合っていました。近くの通路を幼稚園児らしい子供3人が行ったりきたりしています。 淡いピンクのセーターを着た店員さんに聞いてみました「近頃の景気はいかがですか?」
「中国からの人々が旧正月を利用してたくさん観光に見えました。先ほどまで帰国する方々が店に溢れていました。皆さんお金持ちですね。今丁度一波が引いて空いたところですが、高い値段の化粧品が飛ぶように売れています」。店員さんにとっては中国からの観光客はまさに干天の慈雨に近い存在の様子でした。

かつて日本の観光客が大挙して外国に出かけ、強い円も手伝って、ブランド品を次々と買いあさって話題になったことがあります。同じようなことが今日本で起こっているようです。すると、何年かあとには中国が景気後退に陥って、「日本への豪華な旅行、あれは今となっては夢幻のようだ」などと振り返ることになるのでしょうか。

2月13日 キーブル・カレッジは美しい

多喜二シンポジウムが開かれるキーブル・カレッジは、1870年創立でネオ・ゴシック式赤レンガ造りの校舎に 緑の芝生が映える、美しい大学。ここに650人強の学生が学んでいます。シンポジウム開催中の天候が許せば、夜のdinner
partyは屋内ではなく、この緑の芝生の上で行なえるのだそうです。お天道様のことですから、お祈りするしかありませんが。。。

キーブル・カレッジ

シンポジウム会場は40人ほどの会議に格好の大きさです。当初、会議室は一つで間に合うと考えていました。しかし各国から発表参加の申し込みが多数寄せられたことから、急遽第二会場も用意することにしました。幾つかの報告については、同じ時間帯に二つの発表を並行して行なうことになります。嬉しい悲鳴であります。

道路を隔てたすぐ近くにオクスフォードが誇る自然歴史博物館があります。 時間が許せばここを訪れるのも楽しいことでしょう。

2月14日 ペンブローク・カレッジの大食堂

ペンブローク・カレッジの大食堂

多喜二シンポジウム開催リーダーの一人であるフローレス教授の取り計らいにより、オクスフォード大学ペンブローク・カレッジの大食堂でのdinnerに招かれました。創立1624年、その長い歴史と暖かみある、形式にこだわらない、「小なれどその輝光強し」という雰囲気のカレッジだそうです。Dinnerは午後7時開催。その15分ほどまえにまず懇談室でシェリー酒などを取りつつ、ヘンダーソン総長(Master)や教授陣5~6人の紹介をいただきました。教授陣はすべて黒いガウンを着ています。それが食堂で食事をする際の「決まり」なのだそうです。

教授の一人、ワーズ博士の語学力には驚きでした。もともとはベルギーの女性で、フラマン語、フランス語、オランダ語、ドイツ語、イタリア語、英語、スペイン語、ポルトガル語、中国語、韓国語からチベット語まで通じておられる。専門は中国宋代の科挙の研究だそうですが、もちろん中国歴史全般も教え、古典語研究にITを駆使することに興味をお持ち、とのことでした。教授の皆さんと軽い話題で肩をほぐしてから、いざ食堂へ。

食堂のフロアーは8m x 20mほどの長方形。ハリーポッターの映画にカレッジの食堂シーンがあるので、ご覧になられた方は想像しやすいでしょう。すでに学生たちが80人ほど縦長のテーブルについて、がやがや話し合っていました。その一番奥が20cmほど高い壇になっていて、学生たちのテーブルの並びと90度の角度でT字型に備えてあります。ここを「High Table」といい、学内では権威の象徴のような響きを持つ、教授陣および選ばれたゲストの席です。ハイ・テーブルを備えているのはオクスフォードとケンブリッジ以外の大学にはない、とのことでした。おしゃべりをしている学生たちの横を通って、私たちはこの高い壇にたどり着きます。

席に着くとまずワインが出ます。私の席は本日のホストであられるヘンダーソン総長のすぐ横でした。学生たちの話し声があちこちで続いています。3~4分すると、総長が木槌でテーブルをコンコンコンと3回たたき、それを合図にぴたりと話し声がやみました。すると、私どもの近く、低いフロアーにいた女性がマイクを通して、ペーパーを見ながら食前の祈りをささげました。祈りの最後に「アーメン」。続いて一堂が「アーメン」と復唱し、会場の会話が復活しました。「難しそうな祈りの言葉ですね」と総長に話しかけたら、「ラテン語です。私も理解できるのは最後のアーメンだけ」。
この日のメニューは、にんじんとコリアンダーのスープ、ハーブクラストに子羊の骨付き肉、野菜、デザートはチョコレートソースとタルト。ワインは白、赤好みに応じて。最後の締めはポルトでした。

総長のヘンダーソンさんは2002年までロンドンの金融街で弁護士として活躍、日本にも仕事で何度も来られたそうです。「今の仕事で力点を置いているのはどんなことですか」との私の質問に対し、「大学のマネージメントが私の仕事。不足しているものを充足しなければならない。講堂や会議室ももっと広い施設が欲しい。資金集めが大事な仕事。一人のチーフのもとに4人置いて担当させている。お金を集めるには大学が今何をしていて、将来何をしたいかをアピールしなければならないので、魅力的な説明資料作成や広報も大切」とのことでした。

オクスブリッジ会館のルール

ロンドンの中心部にオクスフォードとケンブリッジ(オクスブリッジ)の会館があります。以前、オクスフォードの卒業生に昼食をご馳走になったとき、「ここでの決まりはお互いに仕事の話をしないことである」と入館前に釘をさされたことを思い出しました。ビジネスに携わる一般の日本人にとって、仕事の話を抜きにした食事となるとかなり苦痛ですので、いつも「その決まりがあるって本当かな」と思っていました。

この点を教授の一人に質問したところ、「仕事の話をしない、との決まりがあるかは定かでない。しかし会館では政治と宗教とセックスの話はしないことになっている。会館では過去何百年の間に第一、第二の話題で喧喧諤諤、好ましくない事件がしばしば起こったらしい。三番目の話題は町中どこの場所もしているので、敢えて同列に堕して会館でまですることはない。長い歴史のある誇り高い大学ゆえ、年を経るうち自然に自己規制が働いてルールにまでなったのではないか」とのご意見でした。

2月14日 シェークスピア生誕の地を訪ねる

「せっかくオクスフォードまで来られたのだから、ストラトフォード・アポン・エイヴォンまで行かれては」とのフローレス教授のご示唆に従って、島村先生、ヘザー・ボウエン=ストライク先生、佐藤、松浦の4人が朝10時出発のバスで出かけました。

気温3度くらい。幸い風は少ないが曇り空。テレビの本日の天気予報では一日中日が差すことは期待できないという。目的地には1時間で到着。私が一番見たかったのはシェークスピアが埋葬されているホーリー・トリニテイ教会でした。小さな町なので、バスターミナルからロイヤル・シェークスピア・シアター前を通って遊歩、10分ほどで教会の前に立てます。13世紀建立と言うだけあって、門から建物までの道両側に並ぶ墓石は苔むし、長年耐えてきた風雨を想像させるには充分でした。目指すシェークスピアの墓は教会内祭壇の近くに他の名士たちと並んでありました。

シェークスピアの墓

墓の上に青色の立て札「詩人ウイリアム・シェークスピアの墓。1564-1616」。その向こうには墓石に刻まれた文言を再現した、やや大きな石板が置かれていました:「よき友よ、願わくは、ここに埋められ 閉ざされし塵を、掘り起こすことなかれ。この墓石にふれぬものに祝福あれ、わが骨を動かすものに呪いあれ。」(訳文は「シェイクスピア物語」小田島雄志著 p.14)

なんとなく奇妙な墓石文です。墓を開けたら何もないのではないか。実はシェークスピアは存在しなかった。これを隠すためにこの文言を彫った、という説があるのだ、とシェークスピアに詳しい友人が教えてくれました。しかし、生家に隣接するシェークスピア・センターに行ってみると、彼が残した財産分与に関する遺言が残っていますし、ゆかりの建物もこの土地に複数あります。やはり実在したに違いない、と確信して帰ってきました。

以上

[2008/2/26]

白樺文学館 - 小林多喜二の書簡 常時展示中

時代を撃て・多喜二