不在地主

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「不在地主」 ”THE ABSENTEE LANDLORD”

作品紹介

不在地主は、昭和初期、北海道に起こった小作争議を大きなスケールで描く、原稿用紙 約259枚の中編小説です。

舞台となった磯野農場のオーナーの磯野進は、大正2年に第5代の小樽商業会議所会頭 をしたのち、同14年に再び第9代の会頭を勤めた海陸産物商人でした。

『蟹工船』でプロレタリア作家としての地位を築いた多喜二に、当時のブルジョア論壇 『中央公論』から執筆依頼を受け、「「蟹工船」以上のものにして、お送 り出来ると信じています」(6/23 雨宮庸蔵宛書簡)と意気込んで仕上げた作。
「意図としては、日本在来の、又日本プロレタリアの「農民文学」に対して、断然新し い道を示すものであることを信じていますが、その意図がどの位成功する か。」(29/7/1 雨宮庸蔵宛書簡)」という抱負を述べています。


多喜二は、この作品の冒頭に、
――この一篇を、「新農民読本」として全国津々浦々の「小作人」と「貧農」に捧げる。「荒木又右衛門」や「鳴門秘帖」でも読むような積りで、仕事の合間々 々に寝ころびながら読んでほしい――
と書きましたが、そういう気楽さとはうらはらに、多喜二は「不在地主」執筆を直接の理由に、5年8ヶ月勤めた北海道拓殖銀行を解雇されます。



この作品が生まれるまでには、「防雪林」、「防雪林(改作)」そして「不在地主」と いうステップがあります。(※伊豆利彦は、<「不在地主」は「防雪林」 の改作だと言われ、作中に『防雪林』から取られた部分も多いが、この二つは根本的に異質の作品である。>という説を展開されています。)

『防雪林』は一九二七年の十一月から翌年四月にかけて原稿帳に書かれたが、生前未発 表で戦後になって発見され、『社会評論』誌に連載のかたちで公表されま した。


1. 最初のノート稿「防雪林(石狩川のほとり)」は、の1927年、第3号に未発表のまま書き残されていた183枚の中編で、「北海道に捧ぐ」というサブタイ トルがある。ノート稿の終わりには、「(1927,12→1928.4.26夜稿了)」と執筆期間の記入があります。

多喜二は、1927.11.23の日記に「『防雪林(石狩川のほとり)』約百二、三 十枚位の予定で、三、四十枚書いて(月初めに)そのままになってしまっ た。これは是非完成さしたいと思う。原始人的な、末梢神経のない、人間を描きたいのだ。チェルカッシュ、カインの末裔、如き。そして更に又、農夫の生活を 描く。」と書いています。これにより、最初「石狩川のほとり」として構想されたものだとわかります。


2. 1928年の原稿帳(B)には「防雪林(改作)」があります。題名の上に「10/14、ヨリ」という日付けが書き込まれています。1928.4.26に ノート稿を書き終えた「防雪林(石狩川のほとり)」を、「未定稿」のままでおき、「一九二八年三月十五日」、「東倶知安行」を完成させた後、10/14日 以降に改作に着手したものの、途中で「蟹工船」を書き始めたことで、この原稿の改稿の仕事は中止されました。


3. 「不在地主」ノート稿の書き出しのところには「『防雪林・改題一不在地主』」「1929.7.6筆をとる」と記入があります。
稿末には、(1929・9.11 夜)、(1929.9.29完成)という記入があ ることから、9月11日にノート稿がおわり、29日に原稿が完成してい ることがわかります。

「不在地主」原稿は野口七之輔が『小林多喜二全集』385ページ12行目から、 461ページ11行目まで保存されている(『小林多喜二』第二巻「解題」) といいます。その他については、所在は不明です。


「不在地主」について作者の意図、執筆の経過や発表後の事情は、『中央公論』編集者 の雨宮庸蔵にあてた1929年6月23から11月29日までの8通の手 紙があります。
なかでも「1929年9月」の日付の書簡は、詳細にその意図を明かしています。


―――A、私はあの作では、何より「資本主義が支配的な状態のもとの農村」を描いた ということです。そしてそのもとでは、当然、地主のブルジョワ化の過 程、人魚のように、上半分が地主で、下半分が資本家―即ち、「不在地主」の形態をとるということです。

そして、「不在地主」に触れるということは、又必然に、「地主と資本家」「農村と都 会」の関係を、最も尖鋭化した形で、触れることである。この意味では、 在来の小ブルジョワ・農民文学は勿論のこと、平林たい子、黒島伝治、立野信之あたりも、依然「封建的」な農村、或いは僅かに「過渡的」な農村しか描き得て いないと思うのです。
農民文学に於けるこの意図だけで、自分は自惚れてもいい程の自信を持っています。


B、農民文学は、在来、単に、小作人の惨めな生活(日常の)ばかり描いていた。私 は、この作では、「農民と移民の関係」「青年訓練所と農民」「相互扶助会 と農民」「銀行と農民」「軍隊と農民」「徴兵と農民」……このようなスケールで触れている。

小作人と貧農には、如何に惨めな生活をしているか、ということが問題なのではなく て、・・・・・如何にして惨めか、又どういう位置に、どう関聯されている かが、(・・・・・・・・・・・・・・・彼等自身知らずにいることであり、)それこそ明かにしなければならない第一の重大事であると思う。  この限りでは、私は能う限り暴露していると思っている。


C、この一篤のそして・・・基本点は、「農民」と「労働者」の・・協同を描いたとい う点である。―不在地主が資本主義下の典型的形態たらんとする時、・・ この、・・・・闘争形態が必然に、今後支配的なものになるし、そうなるようにさせなければならない。その意味で、この作品はただに芸術的な意義ばかりでな しに、そこに具体的、政治的意義もあることと思っています。―かかる方面を取扱った、最初のプロレタリア作品でないか、と思っています。


D、人物としては、「伴」「阿部」「吉本管理人」「佐々爺」「 の旦那」の一系列。「健」「武田」「七之助」「のべ源」の一系列。「キヌ」「節」「お恵」「キヌの妹」の一系列。其他、「岸野地主」「校長」「小作官」 「農民組合の荒川」等、すべて、(あまり克明に描くことはやめたが、)それぞれ農村の・一・つ・・一つ・の・・・・・・・・・グループを代表する「・・人 間」として描き出していることである。

これ等の意図が何処迄具体化されているか、作品を見て頂きたく思います。
(中略)
 とにかく、私の今の力として、最大、最高のもの、絶対に・・・良心的なものであ り、又、行き詰っている「プロレタリア・農民文学」の・・打開に対して、 一つのエポックを画するものであることを自信していることを申上げて置きます。
(中略)
「不在地主」は、いずれの点からでも、「蟹工船」以上の作であることを望み、祈って 居ります。―――――――

とこの小説の意図について、明らかにしています。 (『定本 小林多喜二全集 14』 pp67-68  『小林多喜二全集第7巻』P412−415) 



この作品は、『中央公論』の1929年11月号に掲載されたが259枚の最後12章 から16章まで約50枚を、編集部は作者に無断で削除して発表されまし た。

そこは舞台が農村から小樽にかわつて、労農争議共同委員会が組織され、争議が白熱化 していく場面です。作者は、『中央公論』の12月号に削除された部分の 掲載を依頼しましたが、掲載してもらえませんでした。 その後、発表された「不在地主」を読んだ蔵原惟人から、批評するためには省略された原稿を送ってほしいという手紙をもらい、多喜二は『中央公論』の編集者 に依頼し、蔵原に未掲載の原稿を送るよう依頼し、その原稿を蔵原が『戦旗』に掲載しました。

こうしたいきさつがあって、最後の五章は、「戦ひ」という題名で、『戦旗』12月号 に掲載されました。以後、数年間、「戦ひ」は短編としてもあつかわれ 1931年11月、新潮杜版、『日本プロレタリア作家同盟農民文学研究会編『農民の旗』に収録され、また1935年、モスクワ外国労働者出版所日本語版に も収録されています。



蔵原惟人は、●『東京朝日新聞』(12月11〜14日)「注目される四作品」という 評論のなかでこの作品の評価を、つぎのように論じています。

――その題材たるや杜会的に見て極めて意義あるものであり、また芸術家にとってアン ビシャスなものでなければならない。と同時に、これをただ単に論文的に ではなく、芸術的形象によって表現することはまた極めて困難な仕事であって、わが国においては何人もまだ手をつけていなかったところである。 この困難な仕事に小林が最初に手をつけたということに我々はまずこの作品の意義を認めなければならない。 しかしその仕事が困難であればあるだけ、それだけこの作品はまだ遠く完全な成功に達しているとは言えないのである。

作者が「三月十五日」や「蟹工船」でとどまらずに、さらに大きい、さらに興味ある題 材に向かっていったということは、この作品が、前の二作に比してもっと 素晴しいものとなりうることを約束しているにもかかわらず、この「不在地主」一編は、前の成功に対して、その成功と失敗が相半ばしている感があるのであ る。それはおそらく、作者がこの作の完成を急いで、見るべきものを見ず、研究すべきものを研究し尽くさなかったためではないだろうか? ―――――



「不在地主」は、作者が豊多摩刑務所に在獄中、1930年10月4日から16日ま で、東京の市村座で、小野宮吉、島公靖脚色(4幕11場)、佐々木孝丸の 演出で東京左翼劇場によって上演されました。学生だった太宰治も、公演を後に心中する田部あつみと観劇に行っています。

この公演には、喚声、歌声、大衆行動が禁止され、検閲によるカットが120カ所、 3564字におよびました。



海外での翻訳は、
[アメリカ]
●小林多喜二著/フランク・モトフジ訳『蟹工船・不在地主』(ワシントン大学出版部 73年)

[中国]
●小林多喜二著/文浩若訳『防雪林』(山西人民出版社 82年)
●小林多喜二著/李長信訳『日本文学叢書 小林多喜二小説選』(「防雪林」「1928年3月15日」「蟹工船」「不在地主」「工場細胞」「転形期の人々」 「沼尻村」「党生活者」) 人民出版社 83年)
が確認できます。



このテキストは、『小林多喜二全集 第2巻』(新日本出版社 82年 4725円)を底本に、『不在地主』(1930 日本評論社)を参照し、当ライブラリーで読みやすい表記に直しました。

● そのほか現在書店で入手できるものとしては『小林多喜二名作ライブラリー 蟹工船・不在地主』(新日本出版社 94年 1733円)があります。

● 関連推薦作品=有島武郎「カインの末裔」、長塚節「土」、太宰治「地主一代」、金親清「旱魃」、夜須井一「綿」、中野重治「開墾」、本庄陸男「石狩川」、 久保栄「火山灰地」、立野信之「小作人」
(佐藤三郎)