「不在地主」研究論文リスト


●『文芸春秋』(29/12)小林多喜二「不在作家」(感想)

●『新潮』(29/12)小林多喜二「『蟹工船』と『不在地主』」(アンケートにこたえて)

●小林多喜二『不在地主』(30/1 日本評論社)

●『文芸戦線』(30/1) 小堀甚二「昭和四年度の主なる作品批評―「一九二八・三・一五」と「不在地主」」

●『拓荒者』3、4期合併号(《激流怒涛中的最近的日本普?芸運――?京通?》,建南,《拓荒者》第四五期合刊)に、夏 東京から「建南」という署名。「激流怒涛の中の最近の日本プロ芸術運動」=「ナップが成立以来、中心的な機構を設立し、日本プロレタリア芸術運動が長足の進歩を遂げて、労働者と農民を基盤とした革命文化運動になり、文学作品なら、小林多喜二の「蟹工船」、「一九二八年三月十五日」、「不在地主」など一連の優秀な作品が出てきた。芸術上にしろ、イデオロギー上にしろ、最高な地位を占め、民衆の中で強い影響力をもっている」。そして、「蟹工船」と「一九二八年三月十五日」が発表した当日にすぐ禁止され、その後、「蟹工船」が単独出版として短期間で十回余り出版したが、再び禁止されてしまったことを紹介。「故国の兄弟たち、隣国の兄弟の勇ましくて悲しい闘争を見よう。国境線が我々を隔てているが、我々が一緒になり、共同の最後の勝利に向けて、隣国の兄弟を熱烈に擁護しましょう」と結んだ。

●『現代日本文学全集』62巻 小林多喜二=「蟹工船」「不在地主」「救援ニュースNo.18.附録」

●『ナップ』(31/7)蔵原惟人(筆名=柴田和雄)「農民文学の正しき理解のために」

● 『ナップ』(31/10)蔵原惟人(筆名=谷本清)「芸術的方法についての感想」後半
=「日本のプロレタリア文学運動は、1930年の春に「報告文学」、「記録文学」のスローガンを掲げて、今日にいたっている。それは全く正しい。
…しかし現在ではすでに、これだけにとどまっていたのでは明かに不十分だ。今や我々は、プロレタリア文学の「熟練労働者」からは、それ以上のもの、すなわち・・より高い芸術的概括を要求しなければならない。 …たとえばこれまで我々の作家たちはストライキや小作争議を描くにしても――全然観念的な、公式的な、現実を「超越した」、したがって我々に必要でない作品を問題外とすれば――その多くは個々の争議――個々の小作争議を描くにとどまって、またその中にその時代の闘争の全容姿を浮き上がらせて見せた作品は遺憾ながら一つもないのである。そのためにそこには個々のストライキや小作争議に付随した偶然な出来事が、何等の整理なしに描かれていて、我々はそこから時代の本質をつかむことも、またその闘争に対する作者の批判を聞くこともできない。我々が今日までにもつ最も優秀な作品の中に属していた徳永直の『太陽のない街』、『失業都市東京』もこの欠陥をもっている。ただ小林多喜二の諸作品(『蟹工船』、『不在地主』、『工場細胞』)等、片岡鉄平の『綾里村快挙録』、村山知義の戯曲(『暴力団記』『東洋車両工場』その他)および小説『処女地』、徳永直の未完の小説『阿蘇山』等には、この芸術的概括への努力がみられるが、しかし、そこでもまた作者がその時代の闘争の本質をはっきりと見ていないために、そして部分的には芸術的な力の不足から、まだ本当に、時代の芸術的概括であるというところまでいっていない。しかしともかくそれへの努力はすでに始められた。それはやがてそのよき果実を結ぶだろう。」

●『アサヒグラフ』の32年年頭の抱負で「種子は蒔かれた―小林多喜二氏は語る」(32年1月21日)で多喜二は、=「僕は、今のところ考えているのでは農民物を書きたいと思っていますがね―『不在地主』からの『不在地主』時代の自分に比べて、成長していることをはっきり示すものをー自分の考え通りのものが出来るかどうかはわからないが、兎に角書きたいと思ってはいますがね。」 と語った。

●『不在地主 オルグ』(33/3 改造文庫)

●小林多喜二『蟹工船、不在地主』 (33/4 新潮文庫)

●『小林多喜二全集』(第2巻 ナウカ社 35) =不在地主,工場細胞,オルグ,安子 第3巻 ×生活者,地区の人々,沼尻村,転形期の人々,一九二八年三月十五日

●『社会評論』(47年11・12月合併号、48年1月号))小林多喜二「防雪林」

●蔵原惟人、中野重治編『小林多喜二研究』(解放社 48)=「不在地主・沼尻村」小原元、「「防雪林」の意義」小田切秀雄

●『文学』(48/5=)松本正雄「『防雪林』とその意義」

●『働く婦人』(48/6) =手塚英孝「小林多喜二―防雪林」

●『文学』(48/8)= 手塚英孝「小林多喜二の文学―防雪林について」

●『教育と社会』(49/7)=五十公野清「『不在地主』と『カインの末裔』」

●『小林多喜二全集 第3巻』(新日本文学会 日本評論社 49)= 蟹工船,不在地主,暴風警戒報

●『小林多喜二作品集 第2巻』(創元社 53)= 蟹工船,不在地主,同志田口の感傷,テガミ,母たち,失業貨車

●『多喜二と百合子』(55.12)=「「不在地主」の背景-2-」手塚 英孝

● 『多喜二と百合子』.(55.7)=「「不在地主」のなれの果て-2-」磯野 恭子

●『国語国文学研究文集』(56/3) 下向一二「小林多喜二の「防雪林」について」

●『文学』(56/4)小原元「『不在地主』と『防雪林』そのリアリズム」

●『定本小林多喜二全集 第4巻』/小林多喜二全集編纂委員会. (新日本出版社, 68)=蟹工船,不在地主,防雪林 改作,ノート稿

●『現代日本文学館 第26』小林秀雄. (文芸春秋, 69)葉山嘉樹、小林多喜二 解説(久保田正文) 注解・年譜(小田切進)

●『小林多喜二読本』(啓隆閣 70)=「防雪林」の再評価(江口渙)「不在地主」(千頭剛)

●『奥文論藻』(71/4)=工藤忠彦「多喜二上昇―『防雪林』まで―」

●『民主文学』(70/4)=おかべたけただ「「防雪林」と「不在地主」」

●小林多喜二著/フランク・モトフジ訳『蟹工船・不在地主』(ワシントン大学出版部 73年)“The Factory Ship” and “The Absentee Landlord.” Translated by Frank Motofuji. Seattle, Washington: University of Washington Press, 1973.
Motofuji, Frank. “Translator’s Introduction.” In Kobayashi Takiji, “The Factory Ship” and “The Absentee Landlord.” Seattle, Washington: University of Washington Pre ss, 1973 翻訳者序文(以下引用は、白樺文学館多喜二ライブラリーによる日本語訳)は=「蟹工船」の発表後まもなく、多喜二は、別の物語を雑誌に書くことを契約します。それが「不在地主」です。
この物語の基になった出来事は、1926年に起きました。北海道中央部にある農場の小作人たちが、小樽に住み、穀物と海産物を扱う裕福な卸売業者でもある地主に対して抗議をしたのです。彼らは、合計441エーカーの稲作用地を32世帯で耕し、物納で地代を支払うよう課せられていました。1等級農地の小作人は、6.4ブッシェルごとに4.2ペック、2等級用地の小作人は、5.6ブッシェルごとに3.6ペック、そして、3等級農地の小作人は、4.8ブッシェルごとに3ペックの物納です。これらの地代は、近隣農地の小作人に課せられているものに比べて著しく高いものでした。
北海道の開発に関与する主要金融機関であり、自身が差し押さえた膨大な土地の地主でもある北海道拓殖銀行に勤める人間として、多喜二はこの紛争の詳細を関知していました。
 地代に対する今にも爆発しそうな不満は1926年、米の収穫が連日の雨で台無しになり、地代の撤回を求めた小作人たちの嘆願に耳も傾けてもらえなかったとき、ついに最終段階に達します。小作人たちは、これを裁判沙汰にして、抗議デモを実施しました。このデモには、地域の労働者組織も参加しました。そして、5週間の抗議の末、小作人たちは勝訴したのです。
 多喜二は、この話を書き終えて編集者に送る際に、「蟹工船」のときと同様、理論的根拠を合わせて提出しています。
(中略)
 この作品は、最後の章を除いて、『中央公論』の1929年11月号に発表されました。最後の章は、『戦旗』の12月号で発表されています。「蟹工船」とは異なり、「不在地主」の反響は冷めたものでした。 左派の批評家の第一人者(※引用者注―蔵原)が、この作品は、十分な調査なしに性急に書かれていると述べています。
実際、多喜二が『中央公論』の編集者に説明した目的の実行においては十分に綿密であったとはいえません。特に、実質的に小作人たちを統制している機関であった、村の社会的、半ば公的な組織と小作人の関係について細部まで正確だったとはいえません。青年訓練所や相互扶助団体は、公式の方針の代弁者として、どのように機能していたでしょうか?
おそらく、多喜二やほとんどの読者にとっては、それらの役割は、自明のことだったのでしょう。しかし、多喜二の狙いが、無知な読者を啓蒙し、小作農の生活に対してこれらの組織が担っている役割を気づかせることにあるのならば、彼はこの観点では失敗したといわざるを得ません。
 しかしながら、この欠点も、地主だけでなく、事業家連、教育者、軍隊、宗教、さらには、かれらの中にいる保守派たちに対する農民たちの戦いという物語の劇的な流れを妨げるものではありません。
物語は、実に簡潔に、そして単刀直入に語られます。物語の後半部分のほうが、個人的な意見に基づいていることで、作品の中でもより優れた部分になっています。
公的支援を得ようと小樽に出てきた小作農たちは、同様の方針でデモの経験を重ねてきた労働者組織の援助を得るようになります。その集会の記述、すなわち、公会堂の中で言葉をつかえながらも熱のこもった演説をする小作農たち、中に入ることができなかった公会堂の外にいる民衆、そして、警察がいるということで会堂の内外に立ち込めるはりつめた雰囲気などが、巧みに描かれています。
 多喜二は、「蟹工船」も「不在地主」も、就業時間内に書いています。その皮肉な状況、つまり、多喜二が胸中では鼻持ちならない者と考え、人々の敵とみなす機関が彼を逃がさせないでおいたのです。
とはいえ、多喜二は、遠からず解雇されると分かっていました。彼の文名をさらに広めることになる「不在地主」の発行後、ときにその関与が話の中に述べられている銀行は、1929年後半に多喜二を即決解雇します。
銀行の重役たちも、秘密警察も、多喜二の活動については知っていました。むしろ、なぜもっと早くに解雇されなかったか、不思議なくらいです。おそらく、警察が銀行に、多喜二とその友人を監視下において、地下に潜伏しないようにするために彼を雇い続けるよう説得していたのでしょう。

●『不在地主』小林多喜二(ほるぷ出版, 80.7.小林多喜二文学館)
『小林多喜二全集 第2巻』(新日本出版社 82.6)=小説2  防雪林.一九二八年三月十五日.東倶知安行.蟹工船.不在地主.監獄部屋(ノート稿) 防雪林-改作(ノート稿) 解題

●『日本文学』(82/6)小笠原克「小林多喜二・「防雪林」の位相」

●小林多喜二著/文浩若訳『防雪林』(山西人民出版社 82年)

●『手塚英孝著作集 第2巻』(82/12)「『不在地主』の背景」=前述した断片的な磯野農場の資料からみても、「不在地主」は最後の章の小樽での争議の部分とか、小作人代表の件、阿部などは実名をつかいほとんど実在の人物が描かれていますが、磯野農場は具体的に書かれているとはいえません。作者は北海道の典型的な不在地主の農場をえがこうとしたのであって磯野農場を描かなかったということが問題なのではありませんが、磯野農場についてくわしい調査をしていないことはいわれると思います。作者は「不在地主」を書くにあたってかなりくわしい農村の調査はしていますが、農場に深く入って調査する方法を十分とらず、拓殖銀行を通じての調査にかなりたよりすぎているように感じられます。

●小林多喜二著/李長信訳『日本文学叢書 小林多喜二小説選』(「防雪林」「1928年3月15日」「蟹工船」「不在地主」「工場細胞」「転形期の人々」「沼尻村」「党生活者」) 人民出版社 83年)

●『民主文学』 (88/2)「小林多喜二没後55年特集」=右遠俊郎「「防雪林」私論」

●『日本プロレタリア文学集. 26』(新日本出版社, 1987.12)=小林多喜二集. 解説 西沢舜一

●『苫小牧駒沢短期大学紀要 』(88/3) 篠原昌彦「小林多喜二「不在地主」におけるリアリズムの問題」

●『日本近代文学』第43集(90/10/15)=島村輝「〈モダン農村〉の夢−−小林多喜二「不在地主」論」

●『蟹工船・不在地主』小林多喜二 (新日本出版社, 94.11.) (小林多喜二名作ライブラリー2)

●『国文学研究』(96/03)=楜沢健 「『防雪林』―小林多喜二の“絵”」

●『虚構の中のアイデンティ』(法政大学出版局 98年所収)=前田角蔵「外地移住者としての多喜二―屈辱感からの脱出―」「多喜二と田口タキ―その愛をめぐっての一試論―」「異空間からのメッセージ―『党生活者』論―」「初期プロレタリア文学における<虚構>の問題―『防雪林』『一九二八年三月十五日』への転換を中心にして―

●『小林多喜二の肖像 2』(市立小樽文学館 99)「雨宮庸蔵氏談話」

●『前衛』(03/5)新船海三郎「『防雪林』の未完と作家への飛躍」

●伊豆利彦(http://homepage2.nifty.com/tizu/proletarier/kani@huzai.htm)は、「作者の努力は現代の農民が直面する諸問題と新しい農民運動の発展を、概括的に、立体的に、構造的に、諸人物、諸勢力、諸思想の対立、葛藤、共同を通して、できるだけ簡略に、ダイナミックに描き出そうとした所にある。  内容も形式も「労働者的」であることを多喜二は当時の評論、日記、手紙でしきりに強調している。徳永直の『太陽のない街』に学ぶところも多かったと思うが、従来の文学とは異なる文学観に立つ「芸術大衆化」のための試みであった。」とする。

(2004/6/18 作成:白樺文学館多喜二ライブラリー 学芸員 佐藤三郎)