「工場細胞」研究論文リスト

『工場細胞』(日本プロレタリア作家叢書no.9 戦旗社 30年7月)

●杉山平助「5月の小説―「オルグ」の大衆性」(『時事新報』 31年 5/1)

●多喜二「文芸時評」(『中央公論』31/5)

●小宮山明敏「小林の「オルグ」」(『新潮』1931年 1/6)

●『オルグ』(「オルグ」「独房」所収 戦旗社 31年7月)

●多喜二「小説作法」(『綜合プロレタリア芸術講座』第二巻31年 4/30) 

●宮本顕治「文芸時評」(『ナップ』 31/6月号)

●多喜二「『静かなるドン』の教訓」(『国民新聞』 31年8月17-19日)

●川端康成「文芸時評5月」(『新潮』 31年5月)

●西田伊策「二人の作家」『プロレタリア文学』(30年7月号)

●多喜二「当面の課題」「『作品の内容の共産主義化』という方針を、非常に単純に公式的にしか理解できなかったためにそのことがどんな作品のなかにも棒切れのように共産主義理論の一系列を全部持ちこんで武装することであると考え、…それぞれの特殊性を抹消して、何時でもそういう一色に固定してしまった」(『都新聞』 31年8月18日号)

●蔵原惟人「芸術的方法についての感想」(『ナップ』 31年9月号8/2執筆)

●徳永直「小林多喜二の作品集『オルグ』を評す」(『読売新聞』 31年 9/30) 

●蔵原惟人「芸術的方法についての感想」(『ナップ』 31年10月号 ※9月執筆)

 ―「日本のプロレタリア文学運動は、一九三〇年の春に「報告文学」、「記録文学」のスローガンを掲げて、今日にいたっている。」それは全く正しい。…しかし現在ではすでに、これだけにとどまっていたのでは明かに不十分だ。今や我々は、プロレタリア文学の「熟練労働者」からは、それ以上のもの、すなわちより高い芸術的概括を要求しなければならない。…たとえばこれまで我々の作家たちはストライキや小作争議を描くにしても――全然観念的な、公式的な、現実を「超越した」、したがって我々に必要でない作品を問題外とすれば――その多くは個々の争議――個々の小作争議を描くにとどまって、またその中にその時代の闘争の全容姿を浮き上がらせて見せた作品は遺憾ながら筆ともないのである。そのためにそこには個々のストライキや小作争議に付随した偶然名出来事が、何等の整理なしに描かれていて、我々はそこから時代の本質をつかむことも、またその闘争に対する作者の批判を聞くこともできない。我々が今日までにもつ最も優秀な作品の中に属していた徳永直の『太陽のない街』、『失業都市東京』もこの欠陥をもっている。ただ小林多喜二の諸作品(『蟹工船』、『不在地主』、『工場細胞』)等、片岡鉄平の『綾里村快挙録』、村山知義の戯曲(『暴力団記』『東洋車両工場』その他)および小説『処女地』、徳永直の未完の小説『阿蘇山』等には、この芸術的概括への努力がみられるが、しかし、そこでもまた作者がその時代の闘争の本質をはっきりと見ていないために、そして部分的には芸術的な力の不足から、まだ本当に、時代の芸術的概括であるというところまでいっていない。しかしともかくそれもそれへの努力はすでに始められた。それはやがてそのよき果実を結ぶだろう。」

●多喜二「北海道の同志に送る手紙」(『ナップ』31年9月号)

●小宮山明敏(1902−1931)「小林多喜二論」(『プロレタリア芸術講座』 31/11)

●武田麟太郎「告別」(『プロレタリア文学』 33/4・5月合併号)

●『不在地主、オルグ』(改造文庫 33年5月)

●『小林多喜二全集』(第2巻 ナウカ社 35年) =不在地主、工場細胞、オルグ、安子 第3巻 ×生活者、地区の人々、沼尻村、転形期の人々、一九二八年三月十五日

●『小林多喜二短編集』(蟹工船、工場細胞、オルグ、沼尻村)国立芸術文学出版所(レニングラード 38)

●『工場細胞』(小林多喜二著作集第一編/日本共産党北海道地方委員会宣伝部編 創建社46)

●蔵原惟人、中野重治編『小林多喜二研究』(解放社 48)小林多喜二の生涯(手塚 英孝)、「一九二八年三月十五日」と「東倶知安行」(瀬沼茂樹)、蟹工船(岩上順一)、安子(佐多稲子)、不在地主・沼尻村(小原元)、工場細胞・オルグ (キクチ・ショーイチ)、転換期の人々(小田切秀雄)、党生活者(中野重治)、地区の人々・その他(平田次三郎)、「防雪林」の意義(小田切秀雄)、プロレタリヤ文学運動における小林多喜二の意義(壷井繁治)、回想の小林多喜二(武田進)、小林多喜二と私(島田政策)、年譜・作品年表・参考資料(小田切 進)

●蔵原惟人「小林多喜二の現代的意義」―「小林多喜二は共産主義作家として、これらたたかう共産主義者の英雄的行為を描くとともに、当時前衛がもっていたさまざまの弱点や欠陥を批判し、『一九二八年三月十五日』『工場細胞』、『党生活者』などで、当時の最も先進的な、最も理想的な革命家の典型を造形したのである。しかしそのさい彼は当時の共産主義者のおかれていた過酷な現実や非合法運動の当面の必要からくるさまざまの歪みや誤りをも無批判に肯定し、かえってそれを理想化しているようなところがないわけではない。現在、彼の描いた前衛的な人物にたいするさまざまな批評があって、それは、部分的には正しいのであるが、しかしそれは現在の観点からの批評であって、当時としてはやむをえなかったのである。我々はこのような人々までを知らず知らずのうちに歪めていた当時の非人間的な現実を考えるならば、そのなかで多喜二があれほど客観的に、あれほど人間的に、当時の革命家を描きえたことにむしろ驚くのである。」(48)

●キクチ・ショーイチ「『工場細胞』『オルグ』」(―主題は緊密な人間関係の具体的な進展のうちにあきらかにされているとはいえない。」「筋の変化やデテ―ルにたいする関心がもっとも致命的な欠陥」(蔵原惟人、中野重治編『小林多喜二研究』48)

●窪川鶴次郎「小林多喜二の歴史的意義―「工場細胞」と「オルグ」について」(初出『青年論壇』 48年3月号/『定本小林多喜二全集』所収p87)「はじめて小林の手によって共産党の基本組織としての工場細胞の活動公然と取り上げられるに至った。ここにこの作品の画期的意義がある」「この作品はプロレタリア運動の新たな活動形態や闘争の経験についての豊かな知識に満ちている。これはいわゆる「社会科学思想の絵解き」であろうか。その豊かな知識は決して単なる知識ではない。」「小林の作中人物がややもすれば類型的になりがちなのは、支配階級の攻げきの烈しさに比例して、それを受けて立たざるを得ないような、いや応なしの闘争の激化にもとづくところの、日本のプロレタリアートの革命的実践の持つ意義の高さにくらべて、プロレタリアート自身が自己を階級としてその高さにまで結集できない、その成長のいとまを持たぬというギャップが根本的原因なのである」「全体の構成が概念的なのは、革命的プロレタリアートの闘争が広はんな大衆を、その日常の全面的な生活において包かつできないままに、客観的諸条件がその闘争を激化、発展せしめていくために、プロレタリアートの革命的実践を主題とする作品の世界は、その主題を新たに現実的なものとして生かすことのできるような諸現象の概括に立脚することが充分にできないからであろう。だから、いつもそれらしさがつきまとっている。」「工場のなかはわたし達にとっては秘密のとりでであり、あこがれの的だった。ところがこのような時期に、知識階級の出身でありながら、「工場細胞」において工場の設備、機械、労働の過程を単なる描写としてではなく、資本家的生産の本質を表示するものとしてリアリスティクに描いている」

●小田切秀雄『小林多喜二』(50)―人間追求の困難な努力の代わりに安易な類型的人物と、目先の変化を追う慌しい場面の切り換えが作品全体を覆っているために、意図においての革命性にかかわらず、文学的に通俗的な作品に堕し」た。―「…小林もその発展途上において、意図だけの革命性に終わって全くの観念的図式に陥っている作品を書き、『転形期の人々』に先行する『工場細胞』『オルグ』は特にその点が著しかった。

●『小林多喜二全集. 第4巻』(新日本文学会 50)=工場細胞、オルグ

●『小林多喜二全集』第4巻「工場細胞」「オルグ」所収(日本評論社 50)

●『小林多喜二作品集』「工場細胞」「オルグ」(創元社 53)

●『小林多喜二全集第4巻』「工場細胞」「オルグ」(文庫版 青木書店 53)

●『小林多喜二選集』第2巻「工場細胞」「オルグ」所収(ロシア語版国立出版所 57)

●『小林多喜二全集. 第3巻』(小林多喜二全集編集委員会青木書店 59)=工場細胞、オルグ 短篇15篇、評論31篇

●横山仁三「「工場細胞」、「オルグ」」(多喜二・百合子研究会編『小林多喜二読本』58)

●『小林多喜二選集』第二巻「工場細胞」「オルグ」所収(中文版 人民文学出版社58)

●『小林多喜二全集(世界名作文庫)』(青木書店59)

●布野栄一「「工場細胞」「オルグ」の距離」(日本大国文学会 60)

●土井大助「「工場細胞」「オルグ」について」(『赤旗』68/4/24―25)

『定本小林多喜二全集. 第5集』 / 小林多喜二全集編纂委員会. -- 新日本出版社、 68=暴風警戒報、救援ニュースNo.18.附録、同志田口の感傷、工場細胞、「市民のために!」、オルグ、健坊の作文. 注、解題

●『定本小林多喜二全集. 第15巻』小林多喜二全集編纂委員会. ? (新日本出版社、 69)=小林多喜二研究 同志小林多喜二の業績(宮本百合子) 同志小林の業績の評価に寄せて(宮本百合子) 小林多喜二の現代的意義(蔵原惟人) 小林多喜二文学のもつ意義(蔵原惟人) 小林多喜二と宮本百合子(宮本顕治) 『一九二八年三月十五日』と『蟹工船』について(蔵原惟人) 『蟹工船』の勝利(勝本清一郎) 『蟹工船』における集団と個人の描写について(壷井繁治) 「工場細胞」と「オルグ」について(窪川鶴次郎)

●手塚英孝・津田孝対談「小林多喜二の文学―「工場細胞」「オルグ」「沼尻村」など」1「定本小林多喜二全集」が完成して/2権力の迫害から作品を守ってきた力/3全集校訂の過程でつきあたったこと/4もっと評価されていい「工場細胞」/5生産過程の描写―「蟹工船」との比較で/6細胞活動の描き方―「セクト」的か /9反戦テーマで農民を描いた「沼尻村」/10序編で中断された「転形期の人々」/11芸術大衆化と創作方法―多喜二の場合/12小林多喜二の勉強方法―社会科学など/13これからの多喜二研究の方向と意義 (『民主文学』 70年3月号)

●土井大助 「工場細胞」と「オルグ」(多喜二百合子研究会編『小林多喜二読本』啓隆閣70)p123=読者のなかには「工場細胞」が映画的だと言う感じを持つ人がいるだろう。…極力心理描写を排して動きを視覚的に追う描写のしかた、ビラの中身や工場周辺の地図をそのまま挿入するやりかた、比較的テンポのはやい簡潔でみじかい文章、説明的な要素から自由なはつらつとした会話など、いかにもシナリオ的なものを連想させる。」「おそらく、「鉄のような組織」「工場細胞を通して工場労働者にしっかり基礎をお置き、労働者の最先端に立って闘う政党」、共産党の姿が、日本文学のなかにこのように生きいきと作品化されたのは、「工場細胞」がはじめてではなかろうか。」「この「工場細胞」には二つの恋愛が描かれている」「堕落分子の鈴木が、唐突におなじ留置場で自殺するところなど、党内に潜入したスパイの問題をも描こうとした作者自身の自負にもかかわらず、また鈴木の裏切りについては人物像としての伏線には一定の暗示が与えられているにもかかわらず、展開の必然的な成り行きの描写が不足しているといわなくてはならない。」

●土井大助解説 『工場細胞』=「階級闘争の総体像を積極的展望に立って描いた意義とともに―「金融資本の企業合理化政策をも視野にとりこんだ大局観の中で近代工場をとらえ、そこでの新しい共産党の活動に大胆に筆をすすめたという点で、文学史上最初の画期的な意図をもった小説」、技巧的にも映画的手法を取り入れ、多角的内容を「筋の変化」で労働者農民に面白く読ませる工夫を施していてすぐれた作品。」(新日本文庫 78)

●宮本顕治 「あとがき」=・・・「工場細胞」についても、その先駆的役割と、作品としてのすぐれた出来ばえをあらためて詳しく論じた。その結果、多喜二の「工場細胞」「独房」を「政治主義の反面としての双生児」としてみて「小ブルジョア的方法」の失敗作とした鹿地亘や、「誤ったセクト主義」の作品としてみた蔵原惟人の、戦前の評価を再検討し、―「困難にひるまないで前進しようとして革命的な題材を探求し、発掘しようとした」。「芸術運動のボルシェヴィキ化」、「共産主義芸術の確立」というスローガン(それ自体は大衆組織としてのナップに対するセクト的誤謬であったにしても)に応えて「階級闘争の激化した課題をとらえ、地下で活動する共産党の姿や闘士を描くことを当然の使命とし」て「工場細胞」は書かれ、「時代の闘争の本質をリアルに描いて」「ほぼ成功」したと認めている。「―小林多喜二の「工場細胞」(「改造」1930年4月5月6月号)は、地方都市の大きな近代工場の労働者の闘争、共産党細胞の結成と活動などを、資本主義的近代化、合理化の波のなかで描き、登場人物の個性的形象化にもかなり成功した作品である。かなりというのは、細胞の一員になる「お君」の「男工」に対するはすっぱな態度の中に作者の批判性の欠如、わざとらしさ、唐突な点などもあるからである。しかし、工場、生産過程、労働者の仕事、銀行―金融資本家との関係などもよくつかまれている作品であり、プロレタリア文学運動にとっても、小林多喜二の作品歴の中でも重要な位置を占めるものである。今日読みかえしても、工場委員会の自主化を求めての大衆集会の模様は、労働者側の代表はもちろん、会社側の専務、工場長までよく生き生きと描かれている。日本の革命運動でしばしばみられたスパイによる細胞破壊が描かれていることも、この作品の先駆的意義を高めている。全体として、党が非合法におかれ、困難な条件の中での大衆の間の活動の努力や闘争の盛り上げ、前衛部分の検挙等を描いて感銘を与える。発表当時、文壇全体として積極的評価をうけたこともうなずけるものである。」と高い評価を与えた。蔵原は「誤った<セクト主義>が肯定的に描かれていると述べて批判している。しかし、「この<セクト主義>が何であるか、蔵原は指摘していないが、蔵原自身<優れた作品>であること認めていた「工場細胞」をはじめて「ナップ」誌上でとりあげるのに、具体的には作家の政治方針、組織方針についての認識の不足の認識の不足の例としてだけあげていることころに、<感想>の特徴が示されている。」「当時の新聞、雑誌の文化欄を調べたが、プロレタリア文学の作品は文壇全体を通じての比重からみれば、今日の民主主義文学運動の作品とはくらべものにならないくらい重視されており、これらのブルジョア新聞の文化欄の文芸時評家は、必ずといっていいほどプロレタリア文学の作品を対象に取り上げている。例えば、小林多喜二の「工場細胞」などは、十人ちかい批評家がその月の時評欄でとりあげている。これらのプロレタリア文学作品は、改めて今後も新しい見地から歴史的再評価と再出版がおこなわれることが望ましい。今日、この時代のプロレタリア文学、文化運動の機関誌の復刻がなされていることも有意義である。」(『文芸評論選集第1巻』80)

●『小林多喜二全集. 第3巻』( 新日本出版社、 82.9)=小説3 暴風警戒報-困難な下半期.救援ニュースNo.18附録.同志田口の感傷.工場細胞.健坊の作文(童話) 「市民のために!」 オルグ.壁にはられた写真.独房.プロレタリアの修身.テガミ.飴玉闘争.争われない事実.七月二十六日の経験.父帰る.母たち.安子.疵.母妹の途.級 長の願い.失業貨車. 解題

●松澤信祐「『工場細胞』評価をめぐって」(1930年)「七月に公表された「芸術大衆化に関する決議」は、芸術の対象を大工業労働者および貧農に置くとともに、「革命的プロレタリアートのイデオロギーを重要産業の大工業および貧農の間に広く浸透させねばならない」し、題材も「前衛の活動」以下、社会民主主義の本質と暴露、プロレタリアヒロイズム、マッセンストライキ、大工場内の反対派・刷新同盟、ブルジョア政治・経済過程の諸問題等を、描くべきだと提唱し、こうした共産主義文学の代表作品として「工場細胞」は、この年十一月ソ連で行われた国際作家同盟の会議で日本代表から報告されもした。」「多喜二は、ナップの決議の精神を忠実に実践して、近代工場の末端組織である「工場細胞」、H地方委員会の「オルグ」、さらに中央に近い前衛組織に属する「党生活者」を書き、いわゆる「主題の積極性」としての「生きた前衛」をテーマにすえるとともに、「蟹工船」用の近代的製罐工場を描くことによって、前近代的な搾取形態そのものの「蟹工船」と、それを支えに成長する日本型資本主義のカラクリを作品の上でも追及する結果となった。(「『工場細胞』評価をめぐって」 (『小林多喜二全集第3巻』月報 82年)

●宮寺清一「工場細胞」(『民主文学』=小林多喜二没後50周年特集―作家による作品論=83年2月号)

●小林多喜二著/李長信訳『日本文学叢書 小林多喜二小説選』(「防雪林」「1928年3月15日」「蟹工船」「不在地主」「工場細胞」「転形期の人々」「沼尻村」「党生活者」) 人民出版社 83年)

●津田孝『小林多喜二の世界』(新日本出版社 85)=3章1「蟹工船」から「工場細胞」へ/2「工場細胞」の人物像/3「工場細胞」と新しい社会問題/4「オルグ」について/

●津田孝『小林多喜二の世界』(新日本出版社 85)=三章1「蟹工船」から「工場細胞」へ/2「工場細胞」の人物像/3「工場細胞」と新しい社会問題/4「オルグ」について/5「独房」「安子」など

●『日本プロレタリア文学集. 26』(新日本出版社、 87)=小林多喜二集. 1 内容細目 人を殺す犬.滝子其他.防雪林.一九二八年三月十五日.東倶知安行.蟹工船.不在地主.工場細胞.オルグ. 解説 西沢舜一

●西沢舜一解説「工場細胞」「オルグ」…(「オルグ」は)「工場細胞」の続編にあたるものだが、前編の主題の全面的な展開ではなく、登場人物にも整合性が不充分で、むしろ別個の作品のおもむきさえある。この作品への作者の自己分析にはきびしいものがあり、一般の評価も「一九二八年三月十五日」以後の小林多喜二の中長編の中では低く見られてきた。たしかに「工場細胞」と比較しても構成の緻密さ、人物造形や個々の描写の的確さに問題が感じられる作品である。だがそれだけで、失敗作としてしりぞけるような作品ではないことも強調しておきたいと思う。革命運動の新しい課題に即応して文学的営為をすすめるという多喜二の姿勢はこの作品でも一貫している。」(『日本プロレタリア文学集26巻・小林多喜二集1』87)

●湯地朝雄『プロレタリア文学―その理想と現実』(晩声社 91)「小林多喜二『工場細胞』」、作中の労働運動と実際の労働運動/現実の革命運動に忠実な作品の枠組み 「工場委員会の自主化」のための闘争とは何か 作中の闘争はどのように書かれているか― Y市工代会議の方針、H・S工場の細胞の活動、従業員大会/革命路線と大衆路線との接点/それはわれわれに何を語りかけているか/共産主義作家としての構想力

●宮本阿伎解説=「多喜二は、作品完成後、佐藤績宛に出した三月三日付の手紙のなかに重ねて<作品は「工場細胞」と共産党とが結びついた「三・一五」以後の日本の左翼運動を描いて居ります。それは、「企業の集中」による一産業資本化の没落を背景にして「工場委員会」の自主化への闘争として描かれています。>と述べています。ここに作品の主題がより明確に示されていますが、この作品に作者がなによりも描きたいとしていたことは、三・一五事件で壊滅的な打撃を受けて日本共産党が、なお怯むことなく、大工場に工場細胞を組織してゆくその姿であったと思います。…多喜二が図説的でも、夢物語でもなく、工場細胞と結びついて工場委員会自主化へのたたかいを現実的に描き得たのは、やはり身近にその意志をもち努力する人々がいたからに他ならないと思います。」(『多喜二名作ライブラリー「工場細胞」「安子」』 新日本出版社 94) 

●乙部宗徳「『一九二八年三月十五日』から『地区の人々』へ」(乙部)―個人の心理を描いた「一九二八年三月十五日」に対して、集団を描こうとした「蟹工船」は、それぞれに批判を受けたが、それを踏まえながら個人と集団を描こうとしたのが「工場細胞」だといえる。…この作品で労働者のたたかいを指導する共産党組織が描かれたことも大きな意味を持つ。三月十五日の弾圧は、日本の進歩的運動に大きな打撃を与えたが、日本共産党は決してなくなってはいないし、労働者のそばに組織が存在するということを読者に伝えたかったのだろう。警察によるスパイの送り込みも含めて、党組織を描き出した意味は大きい。「工場細胞」の続編にあたる「オルグ」について、宮本顕治は『ナップ』1931年6、7月号の「文芸時評」で、「とにかく作者が正面から取り組んでいる」「いつもの彼の気魄を保っている全体の構成もムラがなく最後のしめくくりも利いている。そしてこういうスケールの大きな題材に立ち向かう作者の意図は、望ましい作家的野望として評価されなくてはならない」と積極面を上げた上で、「作者を脈うっている主題的な流れはともかく一応我々に消化されるが緻密な形象性において我々に迫らない」と批判した。多喜二は、「オルグ」を含めた自作について、「『作品の内容の共産主義化』という方針を、非常に単純に公式的にしか理解できなかったためにそのことがどんな作品のなかにも棒切れのように共産主義理論の一系列を全部持ちこんで武装することであると考え、…それぞれの特殊性を抹消して、何時でもそういう一色に固定してしまった」(「当面の課題」『都新聞』1931年8月18日号)と、自己分析している。「工場細胞」も、スパイになった鈴木が自殺する過程は分りにくかったが、「オルグ」でも、獄につながれた森本が党を裏切る過程が文学的説得性をもって描かれておらず、ストーリーの展開を追うあまり、一人ひとりが十分に描かれていないという面がある。また、「オルグ」が「工場細胞」第二部とされながら「工場細胞」とはあまり関係のない作品展開になっていることも弱さの一つである。しかし、たたかいの中心的な担い手が警察によって逮捕され、壊滅させられたように見えたたたかいが、党のオルグによって復活する過程が正面からとらえられて緊張感をもった作品となっている。「独房」には、この多喜二の「オルグ」の反省を込めているように思う。ここには留置場に入れられても屈しない前衛の姿が、生き生きと描かれている。」(『民主文学』98年2月号 多喜二没後65周年特集)

●島村輝『臨界の近代日本文学』(瀬織書房 99)

●細尾幸作「「工場細胞」「オルグ」にみる「プロレタリア・リアリズム」」(『民主文学』 02年2月号)

●細尾幸作「「工場細胞」「オルグ」補論」 (『民主文学』03年2月号= 特集 小林多喜二没後70年・生誕百年=)

●細尾幸作=「工場細胞」「オルグ」と北洋漁業(『民主文学』04年10月号)

(資料作成 佐藤三郎 04/10/21)