『戦争と文学―いま小林多喜二を読む』ハングル版が韓国で刊行

多喜二の生誕104年に『戦争と文学―いま小林多喜二を読む』ハングル版が韓国で刊行 ―白樺文学館多喜二ライブラリー海外出版助成の一冊が完成―

「戦争と文学―
いま小林多喜二を読む」
ハングル版表紙
白樺文学館多喜二ライブラリーの2005年度の特選図書である、伊豆利彦(横浜市立大学名誉教授)氏『戦争と文学―いま小林多喜二を読む』(本の泉社 2005年)が、金生勲(>全南科学大学副教授/同大学日本文化研究所長の手でハングル訳され、10月上旬、ソウルの学術専門出版社・J and Cから刊行される運びとなりました。同書は、白樺文学館多喜二ライブラリーの海外出版支援の一冊です。

以下は、伊豆利彦『戦争と文学―いま小林多喜二を読む』(本の泉社、2005年6月)の翻訳を担当された金正勲副教授の「訳者の弁」を、日本語に抄訳し、ご紹介させていただきます。

『戦争と文学』韓国語訳の「訳者のことば」(金正勲)

金正勲氏
文学の概念が時間と空間はもちろん、国境を自由に出入りする時代に我々は生きている。従って文学研究においても、形式のフレームは崩れ、多様な方法と対象を模索する意欲を現実からいくらでも摂取できると思う。特に外国文学を研究する研究者にとっては、言語文化的疎通の限界を痛感する場合が多いが、そのたびハイパーテキストの文学世界は新しいパラダイムでネットワークを十分形成してくれる。

国内で外国文学を研究する研究者は、現場感と疎通の必要性を認識しながらも慣れている韓国の土壌に止まるしかない状況に置かれている。しかし、一方デジタル時代に生きる我々は、それを克服する媒体と文字を通じて、その厚い境界の瓦解が実現できる環境の中にまた生きている。電子文学の世界といえども、いつでも積み重ねておいた文字を活字化し、普通の紙ブックとして作ることもできるからである。

そのような視点から見れば、研究対象を設定し、その時空の境界に囚われず、如何に自由な視線で近づけるか、それが重要な要になるだろう。時代と空間を越え、生産性と疎通の担保を受けるための絶え間ない努力、今日、それこそ文学研究のための前提になりがちである。むしろ、芸術性の制約もないし、目的を要求する強迫観念もないので、自発的参与と独自性が生まれるという点を考慮すると、そこでは如何なる試みも可能であるに違いない。

訳者は、「21世紀は、国境を越えて通信網を通して自由に往来する時代であると考える時、それを利用しての資料集めなり、情報の交換は必然的なもの」<「韓国における漱石研究の現状」(『阪神近代文学研究 第3号』、2000)>と主張したことがある。その後インターネットを通じ、日本の研究者と疎通できる批評の空間(旧  新 )を構築した。そして作家研究と作品読みを試みているのは無論、反戦平和・韓日関係など東アジアに住む人間の生活と密接に関連する諸問題も併せて論議している。この本を翻訳した動機もそのような訳者の活動と無関係ではない。

訳者が著者伊豆利彦先生と交流し始めたのは、数年前である。先生はホームページを構築し、毎回『日々通信』を送られたが、何より訳者はその内容に共感した。漱石を中心に日本近代文学を論じてきた老研究者が激しく揺れ動く時代の動向について鋭く批評するその内容は、「文学研究者も現実を見つめ、何かそれに助力する方法はないかと工夫しなければならない時」と模索していた訳者の考えと相接していた。しかし、その出発点は多年取り組んできた夏目漱石研究にあったことも否認できない事実である。

この本が日本から刊行された当時、イラクでは民間人の犠牲者が続出していた。アメリカは大量殺戮兵器を無くすという口実でイラク戦争を起こし、無辜の老人と子供を殺傷した。そしてその余波は、イラクだけではなく、海外でも連日事件が発生していた。2005年7月ロンドンに続き、エジプトの休養地で爆弾テロが発生し、80名の犠牲者が出た時、戦争が如何に人間を不幸にするものかを痛感し嫌悪せざるをえなかった。武力で平和を脅かす主体は、その主張がいくら合理的なものであっても、一旦人間の生命を奪い、結果的に犠牲を齎す以上、それは犯罪である。

なぜこのようなことが起るのだろうか。どうして我々は、戦争のない平和な時代を生きることが出来ないだろうか。伊豆先生の『日々通信』に対する訳者の反応も激しくなって行った。ひもじさに苦しみながら故郷を離れる難民、自分の命を投げ、自殺爆弾テロを敢行するイラク青年らが急増する背景には、軍人と市民を区分せず、むやみに殺害するアメリカの残忍極まる攻撃があったからだ。

告白すると、この本の翻訳に取り掛かることになった動機は、ただ単に作家多喜二を韓国に紹介するためのみではなかった。「小林多喜二」という日本近代の作家を通じ、またその不屈の精神を通じ、今のイラク戦争を眺望し、現代を生きる我々の精神を省察してみる批評に少ながらず刺激を受けたような気がしたからである。それゆえ、多喜二の闘争性を意識しながらイラク戦争を照明する本文内容、「<9・11>は多喜二の読み方にどのような可能性を開いたか」と「隠蔽される戦争の真実と暴露する言葉」というところに、最も早く目を通した記憶がある。

イラクの戦争はまざまざとあの戦争を思い起こさせる。たしかにあの戦争は侵略戦争だった。そして、日本国民の多数はあの戦争を支持した。なぜ、日本国民はあの戦争を支持したのか。多喜二たちは正しい主張をして、この戦争とたたかったのになぜ敗れたのか。<本文1章から(47ページ)>

アブ・グレイブの捕虜虐待は、小林多喜二らを無法に逮捕し、拷問したあの治安維持法下の日本を思わせる。その捕虜たちは突如闖入した米兵に、ほとんど証拠もなしに、テロリスト、もしくはテロリストと関係があると疑われて拘束されたのだという。戦時であるという理由で、そしてイラク人であるという理由で、人権が蹂躙される。米本国でもアラブ系移民や留学生に対して同様の無法な取り調べがなされたと伝えられている。何よりも、あのアフガン攻撃、そしてイラク戦争が、結局無法ないいがかりをつけて始められた無法な戦争だった。<本文1章から(52ページ)>

今もイラク戦争は続いている。日本軍国主義の戦争時代、国家権力と天皇絶対主義に向かって闘争した多喜二の精神は、今の時代を生きる若者に再び蘇るだろうか。

決してこれは日本青年だけに問われる問題ではなかろう。著者は、日本の若者は享楽を追求し彷徨していると指摘し、「中国の青年や韓国の青年は多喜二の生きたその侵略戦争の時代を現在の問題として認識し、日本政府に激烈に抗議しているのではないか」と述べたが、果たして多喜二の精神が韓国の青年には生きているのだろうか。韓国の青年の姿を、日本の青年を通じて照らしながら彼らに直接問い掛けてみたい心境である。

そのような内容に共感していたところ、何か自分に出来るものを探し、実行したいと思う時点から作業は出発した。それゆえか、始終真摯な姿勢で作業に臨み、意識の底辺から湧き出る熱情も自ずから感じることができた。多喜二の生涯と彼の作品から闘争性を刺激されたからだけではない。小市民的な生を生きた多喜二は、だれよりも労働者・農民に対する理解と暖かい配慮の心を抱いていた。それが作品の中にそのまま染み込んでいるのは周知の事実である。

例えば、多喜二は『党生活者』で、主人公の気持ちとして「自分のほとんど全部の生涯を犠牲にしている」、しかし「幾百万の労働者や貧農が日々の生活で行われている犠牲に比らべたら、それはものゝ数でもない」と記録した。そして「私はそれを二十何年間も水呑百姓をして苦しみ抜いてきた父や母の生活からもジカに知ることが出来る。だから私は自分の犠牲も、この幾百万という大きな犠牲を解放するための不可欠な犠牲であると考えている」と付け加えている。しかし、それは紛れもなく多喜二自身のことであった。

従って多喜二の社会の不合理と悪に立ち向かう闘争心も、このような発想から起因したものであるに違いない。その「大きな犠牲を解放するための不可欠な犠牲」、それが自分に近付いてくる運命であることを予測でもしていたのだろうか。しかし、彼は堂々とその道を歩いて行った。生活のため、トロッコで崖の険しいカーブをブレーキを掛けながら疾走していた父母の姿を偲びながら民衆解放と権力に向かって闘い続けた多喜二は、特高警察に逮捕される。そして過酷な拷問で殺害されるのである。

著者は多喜二の死に対し、彼が「戦争に反対する作家で、戦争の真実を暴露し国民に訴える作家」であったため、殺害されたと主張している。ここに多喜二の死の意味は、今日新たに蘇生する作家精神と共存するだろうと考える。しかし、強調したいのは、戦争と天皇制国家権力に激烈に抵抗し、結局息を引き取った多喜二の闘争の根源に父母への愛と、惰弱で気の毒な人々に対する人間味溢れる配慮や同情が深く滲み込んでいる事実である。

そのように考えると、青春半ばで生を終えた彼の死は実に惜しい。この訳書が韓国に紹介され、小林多喜二を読み返す文学的営為が今後活性化し、彼の精神が韓国にも広く伝えられることを願ってやまない。

それほど知られていない作家を国内に紹介するのは、意味あることだと思う。とはいえ、一方原稿が無事に本として刊行され、世に出るかどうか豪語できず、色々検討を受けなければならない過程もあり、負担を感じざるをえなかった。しかし、出版が決定されてからとはいえ、出版支援金を助成し、力を付けてくださった白樺文学館の佐野力館長に謝意を表する。

そして、本文内容に対する訳者の疑問にいつも親切に答えてくださった著者伊豆利彦先生への感謝の気持ちも忘れることが出来ない。最後に出版社皆さんと校正の手伝いに励んだ学部同期生のウィメンボク君にも感謝の心を伝えたい。

(2007年6月)

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